既述のように、「アメリカ倒幕」の狼煙をあげたのは、欧州でした。  ユーロをつくり、ドル体制に穴を開けた。  フセインは欧州に利用され、アメリカに殺されたのです。  しかし、フセインを殺しても、アメリカの勝利は確定しませんでした。  なんと、プーチンのロシアが欧州の側について参戦してきたのです。  この章では、「なぜロシアが倒幕戦に加わることになったのか?」を明らかにしてい きます。                             
ロシアの実力と限界  
  没落した超大国ロシアの存在感が再び増しています。   この国の状況を簡単にいうと「エリツィン時代は超不況、プーチン時代は大好況」。 (メドベージェフの時代になり、世界的不況に突入)  
ロシアはなぜ復活してきたのでしょうか? もっとも重要なファクターだけあげれば、石油価格が高騰したこと。  エネルギー部門は、ロシアの鉱工業生産の約 30%、連邦歳入の 40%、輸出の 50%以上を占めている。  
既述のように、原油価格は金融危機が起こった1998年、1バレル10ドル以下まで 下がりました。それが今では 70~80 ドル台で誰も驚きません。  簡単にいえば、ロシア経済は石油に依存しているのです。  
では、ロシアはどこまで成長するのでしょうか? 超大国に返り咲くことはあるので しょうか?  これは、いくつかの要因で「あり得ない」というのが私の結論です。その根拠を挙げ ます。     1、 覇権国家は一度没落すると、返り咲かない ライフサイクルを見ると面白いのですが、「一度覇権を取った国は、没落後その地 位に返り咲かない」という事実があります。  
これは、ここ数百年の覇権国家とその対抗馬だった国、ポルトガル、スペイン、オラ ンダ、イギリス、フランス、ドイツ等のその後を見れば明らかでしょう。   ロシアはソ連時代、14 共和国を直接統治し、東欧を間接支配。さらに、その影響圏 は、アジア(中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、カンボジア等)、中南米、アフリカまで、 実に世界の 3 分の 1 におよんでいました。   これは、ライフサイクルでいえば立派な真夏。共産陣営の覇権国家。ですから、歴 史的にロシアはピークを過ぎていると見るのです。   
03 年 10 月に米証券大手ゴールドマン・サックスが発表した「BRICSレポート」によ ると、2050年の時点で世界のGDPは、1 位中国、2 位アメリカ、3 位インド、4 位日本、 5 位ブラジル。ロシアは 6 位となっています。  私も、「ロシアはだいたいこんな感じだろう」と予想しています。   2、 人口問題  ロシアがピークを過ぎている証拠の一つに、人口が急速に減少しているという事実 があります。  
 人口は普通、医学が発展していないところでは、一定に保たれています。アマゾン 原住民の部族などでは、弱い子供がどんどん天国にいくので、何千年も人口爆発が 起こらない。  
 その後、医学の発達(あるいは他国から最新医学が導入される)により、高い出生 率のまま死亡率が下がり、人口が急増します。  
 やがて、経済成長と共に出生率は低下し、少子化が進んでいく。  
 成熟期・衰退期の国では、移民により人口が増加しているアメリカなど以外は、欧州 でも日本でも人口の伸びが止まっています。  
 ではロシアはどうなのでしょうか?  この国の人口は現在、「年間70万人減少している」(!)のです。大都市が毎年一つ 消滅している計算ですね。  
 ロシアの人口は、経済が急成長をつづけ、アメリカの覇権を脅かしていた1950年 代から 80 年代まで増加しつづけていました。  しかし、ソ連崩壊直後の1992年に 1 億4870万人でピークに達し、05 年には 1 億 4320万人まで減少しています。今後同国の人口減少のスピードはさらに加速し、20 50年には 1 億1180万人になると予測されています。    人口が減少すれば、当然GDPの伸びは鈍化する。これは日本も同じ。  ですから、ロシアが今後、9倍の人口を抱える中国や、7倍のインドと覇権を争うとい ったことはあり得ません。   3、 賃金上昇のスピード 
 人口が少ないということは、賃金上昇のスピードが速いことを意味します。  
ロシアの賃金水準は既に中国・インド比で断然高く、外国企業にとって両国以上に 魅力的になることはない。また、賃金水準が高いので製造原価が高くなる。つまり割 高のロシア製品は中国製品に勝てない。ロシアの製造業が今後、中国のような発展 を見せることはないでしょう。   ロシアは、トヨタ・日産などが工場建設を決め注目されています。 これは、オイルマネーが回りまわって国民の懐を暖かくしていた。そして「イージーマ ネー」は使うのも早い。ロシア人の消費意欲は、日本人から見るとクレイジー。   ロシアは、市場としての魅力は十分ありますが、世界の工場になるような可能性は ないでしょう。  しかし、2050年にGDP世界 6 位ということは、この国は今後も成長をつづけ、多極 世界の一極になる力は十分あるということを強調しておきます。   アメリカから見たロシア  
アメリカにとってロシアは今どんな位置にいるのか、基本を抑えておきましょう。  アメリカ世界戦略のキーワードは、「ドル基軸通貨体制の防衛」「石油・ガス」「中国」 でした。  この全てのキーワードで、ロシアは非常に重要です。   ドル体制については、後ほどお話します。 第 1 にロシアは世界有数の石油・ガス大国である。これをアメリカは抑えたい。  
第 2 に、ロシアの旧植民地、いわゆる旧ソ連諸国、具体的にはコーカサス地方と中 央アジアにも莫大な量の石油・ガスが眠っている。アメリカはここを抑えたい。  ロシアは、コーカサス、中央アジアの旧ソ連諸国を自国の影響圏と考えています から、当然争いが起こります。  
 第 3 に中国とのからみ。  アメリカが覇権を維持するために、中東を抑える。もし中国が逆らった場合は、中 東→中国の石油の流れをカットする。  しかし、中国にはロシアと中央アジアから石油を買うという方法が残されています。
アメリカは、ロシア→中国、中央アジア→中国の石油の流れをカットしたい。  ここまでが基本。 
  ロシアの石油・ガス   理解を深めるために、ロシアにはどれくらい資源があるのかというお話をします。   地下にある石油の埋蔵量は、正確な数字がよくわからず、機関によってデータもバ ラバラ。英BPのデータでは、1~5 位までを全て中東の国々が占めている。  
 しかし、問題はアメリカ政府がロシアの資源についてどのように考えているかという ことですね。  
 アメリカ地質調査所(USGS)の2000年データによると、ロシアの石油埋蔵量は1 295億バレルで、サウジアラビアに次いで世界 2 位。  日本の石油鉱業連盟の 02 年データでも、1273億バレルで世界 2 位。これは世界 埋蔵量の 14%(!)。   
  数年後に石油が枯渇するアメリカとしては、なんとしても抑えたい国であることがお わかりでしょう。  
 もっとすごいのが天然ガス。「石油に代わるのは、燃料電池ではなく天然ガス」とい うお話しをすでにしました。  ロシアはどうなのでしょうか?  
 石油鉱業連盟の 02 年データによると、ロシア一国の天然ガス埋蔵量は、全世界の 27%を占めダントツ世界一(!!!)。 ちなみに 2 位はイランで約 13%。ロシアは 2 位を倍以上引き離している。  
 どうですか? もし、皆さんがアメリカ合衆国の大統領だったとしたら。 原油埋蔵量世界 2 位、天然ガス埋蔵量 1 位のこの国を放っておけるでしょうか?      
カスピ海諸国の石油・ガス  
  カスピ海諸国というと、イラン以外は全部旧ソ連。コーカサスと中央アジアを含みま す。そして、この地域にも、石油・ガスが眠っている。  
正確な量は、いつものようによくわかりません。 1997年4月、アメリカ国務省は、「カスピ海の石油埋蔵量は1780億バレルにおよ ぶ可能性がある」と発表しました。  USGSは 97 年 11 月、1140億バレル、2000年には700億バレルと発表していま す。 米エネルギー省は2000年 6 月、この地域の埋蔵量は2350億バレルに達する可 能性があるとしています。予測が正しければ、この地域に世界の石油の 20%が眠って いることになる。   まあ、いずれにしてもいろいろな数字があって、はっきりわかりません。  しかし、大切なのは実際にどのくらい埋蔵量があるのかではなく、「アメリカ政府がこ の地域をどのようにとらえているか」ということ。  量がたっぷりあることもそうですが、カスピ海地域の魅力は、まだ開発が進んでいな いこと。   1997年の時点で、同地域の原油生産量は日量110万バレルでした。それが201 0年には400万バレル、20 年には600万バレルと増加していくと予想されています。   中東を除く地域では、今後生産量が減少していく見通しですから、カスピ海地域は アメリカにとって非常に重要なのです。   この地域は、大きく中央アジアとコーカサスの二つにわけられます。   中央アジア最大の資源国はカザフスタン。 問題は、カザフスタンと中国が国境を接していて、簡単に石油を輸出できることで す。これはアメリカの戦略の妨げになります。  
 そして、コーカサスの石油大国はアゼルバイジャン。 アゼルバイジャンの石油は、同国とロシアの黒海沿岸都市ノボロシースクを結ぶパ イプラインを通して世界市場に供給されていました。しかし、アメリカの強い働きかけ により、「ロシアはずし」が実現しています。 
 いずれにしても、アメリカにとってロシア・カスピ海地域は、世界戦略を進める上で非 常に重要。このことだけ、知っておいてください。   ロシアから見たアメリカ  
 私は、モスクワに 20 年住んでいます。それで、ロシアの政治家・学者・ジャーナリス トおよび一般人と接する機会が非常に多くあります。  この国のエリートから一般人まで、共通しているのは反米意識。  なぜか?  
 まず国民の大部分は、共産ソ連時代、徹底的に反米教育を受けている。ですから、 ソ連崩壊後に成人した若年層の反米意識はそれほど強くなく、年配になるほど強くな る傾向があります。  
 もう一つは、ロシアが冷戦でアメリカに敗北したという事実。 ロシア人エリートは、よく日本人にいいます。 「我々が日本人の気持ちで、最もわからないのは何か知ってるかい?」  日本人「わかりません」 「アメリカは日本に原爆を落として、何十万人も虐殺しただろう? それなのに、日本 人の大部分はアメリカをうらんでいないどころか愛している。これが我々には絶対理 解できない」  これが、普通の国なのですね。  
中国人や韓国人は、終戦後 60 年すぎても、いまだに戦時中のことをネチネチいう ので、うざったい。こんな風に感じている人もいるでしょう。 しかし、これは日本人の「水に流す」精神が特殊なのであって、恨みをもつほうが普 通でしょう。  というわけで、冷戦に敗北したロシアは。戦勝国アメリカに恨みを持っている。  
それだけではありません。 これはエリート層に多いのですが、「アメリカが意図的にソ連崩壊後のロシア経 済を壊滅させた」と恨む人もいる。  
 どうしてかというと、1991年 12 月にソ連が崩壊した。新生ロシア初代大統領エリ ツィンは、経済音痴だった。共産主義国で育った人は。資本主義経済がわかりませ ん。 
 そこで、アメリカ政府は、国際通貨基金(IMF)を通し、ロシアのガイダル首相代行 やチュバイス副首相といった改革派に、「改革方法」を伝授したのです。   その内容は、1、政府による経済管理の廃止 2、大規模な民営化 3、価格の全 面自由化。  ガイダル・チュバイスは、IMFの勧告どおり忠実に改革を実行しました。  で、どうなったか?  改革初年度(1992年)の国内総生産(GDP)成長率は、マイナス14.5% (!!!)。インフレ率は、2610%(!!!)。  
少し考えればどういう結果を生むかわかることです。  ロシアは物不足。ソ連時代末期、おじいちゃんおばあちゃんがお店で行列に並ん でいる姿がテレビにも出ていました。  物が足りないのに、価格を自由化したら、ハイパーインフレになる。国家が崩壊し てルーブルが大暴落しているのに貿易を自由化したら、これもハイパーインフレに なる。  単純な理屈です。  
ガイダル・チュバイスは無知だったのか、それともアメリカに買収されて、わざととん でもない改革をしたのかはっきりはわかりません。何はともあれ、ロシア人の大部分 は彼らを憎悪しています。  
 それと同時に、特に高い地位にいた人たちは「バカなエリツィンが、ずる賢いアメリカ 政府にはめられた」と信じている。そして恨みを持っている。  さらに、最近の話になりますが、アメリカは旧ソ連諸国(ロシアの旧植民地)でカラー 革命を起こしている。詳しくは後ほど。  
このように、ロシアはアメリカを相当恨んでいます。 ですから、プーチン大統領(当時)はことあるごとに、「ロシアが目指すのは多極世界 を作ることだ!」と語っていたのです。  「多極世界を作る」というと美しいですが、別の言葉にすれば、「アメリカの一極世界 をぶち壊す」となる。   ロシアから見た中国  
ロシアの敵NO1はアメリカですが、この国にはもう一国仮想敵がいます。  それが中国。  
 ロシア人エリートのアメリカ観・中国観を一言でいうと、「アメリカを憎み、中国を恐れ る」となります。  
 まず感情的な面をあげれば、中国の成功に対する嫉妬がある。  共産主義時代、ソ連は中国に対し、ずっと兄貴面をしていることができました。 世界中の人々が、「ソ連は経済的にも軍事的にもアメリカに次いで世界2位だ」と思 っていた。しかもアメリカがボロボロだった 70 年代は、「いや、軍事的にはひょっとして ソ連が世界一なのでは?」などという声も聞こえてきた。   経済が既にボロボロになっていた1990年代初めですら、ロシアのGDPは中国の 4 倍。それが今では、ロシアのGDPは中国の 4 分の 1 程度になっている。 この事実が、誇り高いロシア人のプライドを傷つけているのです。   ロシアのエリートを恐れさせている、より実質的問題もあります。  それが、両国の人口差。 ロシアの人口は 1 億4300万人で、中国の約 9 分の 1。しかし、東に行くと状況はもっ と悲惨になります。  
 ロシア極東地域の人口は、わずか700万人。あの広大な土地に住む人は、東京 よりもはるかに少ない。  一方、ロシアと国境を接する中国東北三省(黒龍江省、吉林省、遼寧省)の人口は、 1 億2500万人(!!!)。日本全国に匹敵する人が、ここに住んでいる。  中ロの差は 16 倍以上。そして、中国から続々とロシア極東に人が移住してきていま す。   これはロシアにとって脅威でしょうか?  もちろん脅威です。   さらに、中国は1989年以降現在にいたるまで、軍事費を毎年二桁増加させている。 今はもちろん、アメリカに対抗するための軍拡でしょうが、将来中華思想を持つジャイ アントパンダが西にむく可能性も否定できません。これは脅威ですね。  
そんなわけで、ロシアには、アメリカと中国という仮想敵がいる。 
  
そして、ロシアにとって理想的な状況は、アメリカと中国が戦って共に没落すること。 あたかもイギリスとドイツが戦って没落し、アメリカとソ連に覇権が移行したように。  そんな「漁夫の利構想」を持っているロシア。 しかし、情勢はロシアが中立を維持することを難しくしていったのです。   米ロ関係の流れ   冷戦終結後の米ロ関係の流れを追ってみましょう。  まず、ソ連崩壊と新生ロシアの経済改革大失敗で、ロシアは借金大国になってしま いました。   普通借金をしている国は、金を貸している国のいうことを聞きます。 というわけで、エリツィンは概して親欧米外交でした。  後を継いだプーチンは、当初中国や「ならず者国家」との関係を重視していました。 しかし、2001年10月にアメリカのアフガニスタン攻撃を圧倒的に支持し、米ロ関係を 好転させます。   しかし、02 年 8 月ごろから両国は「イラク問題」で対立。 ロシアはフセイン政権に80億ドルの債権がある。フセインが失脚すれば、お金は返 してもらえない。  さらにフセインは、アメリカからの攻撃を止めるために、国連安保理常任理事国フラ ンス・中国そしてロシアに石油利権を与えていました。   ロシアについていえば、具体的に、ルクオイル、ストロイトランスガス、タトネフチ、ソ ユーズネフテガス、ザルベジネフチが、イラクの石油利権に入りこんでいたのです。  フセイン政権が打倒されれば、アメリカは当然石油利権を独占する。  そんなわけで、ロシアはフランス、ドイツ、中国と共に、最後までアメリカのイラク攻 撃に反対します。  しかし、米ロ関係は、まだ決定的に悪くなっていませんでした。      
ユコス問題  
 米ロ関係が決定的に悪化したのは、03 年 10 月に、ロシア石油最大手ユコスのホ ドロコフスキー社長が逮捕されたこと。   なんのことかわからないと思いますので、順番に話していきます。  ソ連時代には、当然民間石油会社はありませんでした。油田開発および生産は石 油工業省が、天然ガス開発はガス工業省が担当していた。  
ソ連崩壊直前の1991年 10 月、ロシア石油ガス公団(ロスネフチガス)が設立され ます。その後、同公団を母体に 93 年、ルクオイル、ユコス、スルグトネフチガスが作ら れました。   メナテップ銀行を率いる天才ユダヤ人ビジネスマン・ホドロコフスキーは1995年、 ユコスを 3 億ドル(約330億円)で政府から買取ります。   ホドロコフスキーはビジネスの天才。  
2003年 7 月までに、同社の時価総額は300億ドル(3 兆3000億円)まで増加。 わずか 8 年で100倍化(!!!)させています。  
彼の資産は 03 年時点で 80 億ドル(8800億円)。ユコスは、石油生産量でも時価 総額でもロシア一の企業。ホドロコフスキーは、ロシア一の大金持ち。   「ロシアの若き石油王」「ロシアのロックフェラー」と欧米から賞賛されて当然でした。  ところが、人間というのは、金ができると次は名誉が欲しくなるのですね。   ホドロコフスキーは、なんと「プーチンの後に大統領になろう!」と野望を持つように なったのです。  
 戦いの舞台は 03 年 12 月の下院選挙と、04 年 3 月の大統領選挙。   ホドロコフスキーは 03 年 4 月、反プーチンの野党「右派連合」「ヤブロコ」「共産党」 の選挙資金をサポートすると公言。  
「右派連合」「ヤブロコ」は、市場経済・民主主義・人権といったいわゆる欧米の価値 観を重視している。一方、「共産党」は当時下院最大勢力で、反市場経済・反欧米。  この全く異なる政党を結びつけているのは、「反プーチン」というスローガンのみ。   要するにホドロコフスキーは、「反プーチンの勢力には、思想に関係なくどんどん金 をあげますよ」といっている。   プーチンはムカつきますね。 さらに同氏は、「2007年にはユコス社長を引退し、ロシア大統領を目指す!」と発 言。  
増長した彼は、旧KGB(現FSB)軍団が動き出していることに気がつきません。 ビジネスの方も順風だったのです。  
 ホドロコフスキーと、石油大手シブネフチ筆頭株主アブラモービッチ(現在ロシア・イ ギリス一の大富豪・英名門サッカーチーム・チェルシー買収で知られる)は 03 年 4 月 22 日、「ユコスとシブネフチを合併する」と発表。    当時、ユコスの時価総額は250億ドルで東欧最大の企業。シブネフチは115億ド ルで東欧 5 位。両社が合併すると、民間企業としては埋蔵量世界 1 位、生産量世界 4 位、時価総額 9 位の新オイルメジャー誕生。   わかります。これで増長しない人間なんていないでしょう。  
しかし、ホドロコフスキーはプーチンを甘く見すぎていました  
KGB出身プーチンの基盤は、連邦保安局(FSB)、内務省、最高検察庁、軍。そし て、クレムリンはこの時までに、3 大テレビ局(ORT、RTR、NTV)を支配していた。な おかつ、ロシアの経済急成長は 5 年目に入っていて、プーチンは国民から圧倒的支 持を得ている。   最高検察庁は 03 年 7 月 3 日、ユコスの親会社メナテップ(ユコス株 61%を保有) 会長レベデェフを、横領の容疑で逮捕しました。  
 さらに最高検は同年10月25日、ホドロコフスキー本人を、横領・脱税等七つの容疑 で逮捕。 
 10 月 30 日には、同氏が保有するユコス株 44%を差し押さえます。  11 月 3 日、ホドロコフスキーは刑務所の中から、「ユコス社長を辞任する」と発表。   03 年 12 月 7 日、下院選挙。 プーチンに絶対服従の与党「統一ロシア」は、450議席中222議席を得て圧勝。そ の他、親プーチンの「ロシア自民党」は 38 議席、「祖国」37 議席、「人民党」19 議席。 450議席中約 70%にあたる316議席がプーチン派。  
ユコスからの資金が止まった、「右派連合」「ヤブロコ」は1議席も取れず惨敗。反プ ーチン政党で唯一議席を確保できたのは、「共産党」(53 議席)のみ。(残りは無所属)  
明けて 04 年 3 月 14 日。大統領選挙が実施され、プーチンは 72%の得票率で再選 を果たします。2位共産党ハリトノフ(13.7%)に5倍以上の差をつけ、圧倒的勝利で した。   アメリカ、対ロ政策の転換点    長々と、ロシアの国内問題を書いてきましたが、ユコスの行方をじっくり見守ってい たのがアメリカ。   実をいうと、アメリカ、具体的には当時世界最大の企業だったエクソン・モービルと シェブロン・テキサコは当時、ユコスの買収交渉を進めていたのです。  
 アメリカの戦略を既に理解しておられる皆さんは、理由がわかるでしょう。  ロシアは、世界 2 位の石油大国である。そしてユコスは、生産量でも時価総額でも ロシアの石油最大手である。これをアメリカは抑えたい。  ユコスとシブネフチの合併が実現し、超巨大企業が出現する。これを買収できれば、 なおすばらしい。  
 もう一つ。アメリカは、ロシア→中国の石油の流れをカットしたいというお話をしまし た。  ユコスはロシアの石油業界で、中国との関係がもっとも深い企業だったのです。  皆さんも聞いたことがあると思いますが、東シベリアからパイプラインを極東までひく のか、中国までひくのかという話。  元々、シベリア~中国大慶パイプライン構想は、1997年にユコスが提唱したもの。 さらに、ユコスは鉄道で中国への石油輸出を開始していました。同社は03年、600万
トンの原油を中国に鉄道で輸出しています。   アメリカとしては、今はチョロチョロのロシア→中国の石油の流れをカットしなければ ならない。あるいは、ユコスを買収して大儲けし、いざとなったら、栓をしめれる状態を 作りたい。  
「石油は戦略物資で、ロシア経済の大黒柱。政府が売却を許さないのではないで すか?」   そのとおりです。ところが、アメリカを楽観視させるできごとが、同時期に進行してい たいのです。  ロシアの石油大手チュメニ石油(TNK)と英 BPは 03 年 2 月、「合弁会社TNK‐BPを 設立する」と発表します。そして、プーチンも特に反対している様子はない。実際、TN K‐BPは 03 年の 9 月に設立されています  アメリカもこういう流れを見ていますから、「ユコス買収もいけるのでは?」と思ってい た。  
 ところが、最高検はレベデェフとホドロコフスキーを逮捕し、保有株を差し押さえてし まった。  アメリカ政府はこれで、「プーチンはユコスを支配するつもりだ。アメリカはユコスを 買収できないし、石油業界に入り込めない」ということがわかった。  
 その後の動きを見ると、03 年 12 月、ユコスとシブネフチの合併話が流れました。 そして、国営石油会社ロスネフチは 04 年 12 月、ユコス傘下で最大の企業ユガンスク ネフチガスを買収。  また、天然ガス世界最大手ガスプロム(国営)は 05 年 9 月、シブネフチを買収。ガス プロムはこれで資産を増やし、06 年 5 月にはエクソンモービル・ジェネラルエレクトリッ クにつぐ、世界 3 位の企業になりました。  
 このように、プーチンは、エリツィン時代に失われた石油ガス業界を、国家の支配に 戻すことに成功したのです。  
アメリカは「ロシアを封じ込めて叩きつぶす」ことを決意。 米ロ冷戦が再開されました。 
  
アゼルバイジャンとBTC   どんどん話がローカルになっていきます。  
カスピ海沿岸にアゼルバイジャンという国があります。19 世紀初めからソ連崩壊ま で、約190年ロシアの支配下にあった。    この地域が注目されるようになったのは、ソ連崩壊後。1991年 8 月にアゼルバイ ジャンは、独立を宣言しています。  世界の石油支配が国策であるアメリカは、この国を放っておけません。しかし簡単で はない。  
 アゼルバイジャンを地図で見ると、世界市場にはアクセスできない位置にある。唯 一の方法は、ロシアの黒海沿岸都市ノボロシースクまでパイプラインで運ぶこと。   アメリカは考えます。 「なんとかアゼルバイジャンの石油を、ロシアを経由しないルートで出せないか?」  
クリントン大統領(当時)は1996年、アゼルバイジャンのゲイダル・アリエフ大統領 (当時)に電話して提案しました。 「ロシアを経由しないで、アゼルバイジャンの石油を世界市場に出せるパイプラインを 作らないか?」  ルートは、同国の首都バクーから、西の隣国グルジアの首都トビリシを経由し、トル コのジェイハンに抜ける。  アリエフは即座に同意しましました。  
ところが提案したほうのクリントン。彼のバックは石油業界ではなく金融界。アメリカ は ITバブルで空前の好況を謳歌している。 「金融で儲けられる。石油なんて泥(油)臭いし古臭い」 話はなかなか進展しませんでした。   しかし、石油業界がバックのブッシュが大統領になって、プロジェクトはよみがえり ます。 カスピには、石油もガスもたっぷりある。ところが、今はロシアを経由しなければ出 せない。これを確保することはブッシュの世界戦略と一致しています。  2002年、パイプライン建設のための合弁会社BTCが設立されました。 
 出資比率をみると、英BP(30.1%)、アゼルバイジャン国営石油会社(GNKAR) 25%、Unocal(8.9%)、Statoil(8.71%)TPAO(6.53%)、 ENI(5%)、TotalF inaElf(5%)、伊藤忠(3.4%)、Inpex(2.5%)、ConocoPhilips(2.5%)Amera daHess(2.36%)。  パイプラインの全長は1767km、輸送能力は年間5000万トン。プロジェクトは総 額 36 億ドル。  03 年 4 月から建設が始まりました。   グルジア・バラ革命   長々とアゼルバイジャンの話をしてきましたが、ここでのメインテーマは、この国で はなく、お隣の国。  BTCは、アメリカの世界戦略と合致している。つまり、「ロシアの国益に反する」とい うこと。  しかし、ロシアはアゼルバイジャンをいじめることができません。いじめれば、さらに アメリカに接近してしまうからです。   そこでロシアは、パイプラインが通過するグルジアに圧力をかけます。   グルジアも、アゼルバイジャンと同じく、91 年にソ連から独立しています。 大統領(当時)は、ゴルバチョフ時代ソ連外相だったシュワルナゼ。グルジアの大統 領になっても、ずっと親米路線をつづけていました。   ロシアはどうやってグルジアをいじめたか?  グルジアには、アプハジア・南オセチアといった独立を目指す共和国があり、中央政 府と対立している。  ロシアは、これらの共和国を支援することで、グルジアの政情を悪化させます。グル ジアが不安定になれば、パイプライン建設もできないだろうと。  
BTCには世界の一流企業が出資していますから、紛争地域にパイプラインなんか 建設したくない。  ロシアのグルジアいじめは、BTCパイプライン構想が実現に近づけば近づくほど、 厳しくなっていきました。   グルジアは、ロシアにガスや電力を依存している。ロシアは同国への供給を制限し、 経済に大打撃を与えます。 
 シュワルナゼにとっては大変なストレスで、彼は米ロの間をウロウロしはじめました。   アメリカ政府は、「このじいさんではダメだ。もっと若くてイキがよくて反ロで俺らのい うことを聞く男を大統領にしよう」と決意します。  03 年 11 月 2 日、グルジアで議会選挙が実施されました。  
 結果は、親シュワルナゼの与党「新しいグルジア」が 21%で 1 位。2 位はサアカシビ リ率いる「国民運動」で 18%。  
 野党は、この選挙結果は「不正だ!」とし、「選挙やり直し」と「大統領辞任」を求める 大々的なデモを行います。11 月 22 日には、野党勢力が国会議事堂を占拠。23 日に 大統領は辞任しました。  これを一般的にバラ革命といいます。   バラ革命はアメリカの革命  
皆さん、「グルジアのバラ革命はアメリカがやったのですよ」といったらどうですか? 「トンデモ系ですか? もうここで読むのは終わりにします!」と腹を立てる人もいるで しょう。  しかし、これは日本の新聞にもバッチリ載っている事実なのです。   役者の一人は国際投機家ジョージ・ソロス。  ソロスは2000年に初めてグルジアを訪問。シュワルナゼに話をつけ、「オープ ン・ソサエティ財団」の支部を開設します。  
 この財団は後に、反政府系NGOを支援。シュワルナゼは、ソロスと同財団の動き を非難します。一方、ソロスは「シュワルナゼは非民主的だ。03 年秋の議会選挙は 公正に実施されないだろう」と反論。    03 年 12 月 1 日の時事通信に、面白い記事があります。  
〈グルジア政変の陰にソロス氏?=シェワルナゼ前大統領が主張 【モスクワ1日時事】グルジアのシェワルナゼ前大統領は、11月30日放映のロシア 公共テレビの討論番組に参加し、グルジアの政変が米国の著名な投資家、ジョー ジ・ソロス氏によって仕組まれたと名指しで非難した。  ソロス氏は、旧ソ連諸国各地に民主化支援の財団を設置、シェワルナゼ前政権
に対しても批判を繰り返していた。(時事通信-03 年 12 月 1 日)〉  
革命の主役サアカシビリ。(現グルジア大統領) コロンビア大学とジョージワシントン大学を卒業したバリバリの親米派。 2000年 9 月から、シュワルナゼ政権の法相を務めていましたが、「政権の腐敗ぶ りに失望した!」と 1 年後に辞任。アメリカから革命の手ほどきを受けるようになりまし た。  
その後の動きを追っていきましょう。   ソロスは、財団を通し反シュワルナゼ系のNGO・NPOを支援。着実に基盤を築い ていきます。   03 年 7 月、ベーカー元国務長官がグルジアにやってきました。(ロシアでレベデェフ が逮捕された直後。)ベーカーとシュワルナゼは、共に米ソ冷戦を終わらせた歴史的 人物で親友。  
 ベーカーはいいます。 「11 月の議会選挙は公正にやったほうがいいよ。不正があるとアメリカはあなたを 支援しなくなるから。野党と話し合って選挙管理委員会を作りなさい」  この訪問について、新聞にはなんと出ているか?  03 年 11 月 23 日の読売。  
〈【モスクワ=五十嵐弘一】グルジアでの政府と野党の対立は、野党が実力行使で 議会を占拠するという最悪の事態に発展した。(中略)  本来、シェワルナゼ政権は、北大西洋条約機構(NATO)入りの意向を鮮明にする など、親米欧の路線を取る一方、チェチェン問題などをめぐってはロシアと対立を繰り 返してきた。ゴルバチョフ旧ソ連政権時代に、「新思考外交」を推進したシェワルナゼ 氏の胸中には、いまだに米欧には「冷戦終結の立役者」の自分に対する感謝の念と、 支援の感情があるとの確信があったからだと言われる。   だが今年夏、米特使としてトビリシを訪問したジェームズ・ベーカー元国務長官は、 シェワルナゼ氏のおひざ元で、今回の反政府行動を主導したサアカシュビリ元法相ら 野党指導者と会談し、既に「ポスト・シェワルナゼ」に視線を移していることを露骨に示 した。ともに冷戦終結を主導した旧友としてベーカー氏を信頼していたシェワルナゼ大 統領は、内心強い衝撃を受けたと言われる。  政変の帰結を予測するのは困難だが、決定的な要因の1つが米国にあることは衆
目の一致するところだ。〉   で、結局どういう話になったか。  野党側は、「アメリカに選挙の監視をしてもらおう」と主張します。それで、アメリカも 「OK!」ということになった。   そして、アメリカの民間調査会社が出口調査を行うことになったのです。  11月2日、選挙管理委員会の発表は、アメリカ側の出口調査と違っていました。そし て、その結果が報道されると、野党側は大々的なデモを展開し、シュワルナゼを辞任 に追い込んだのです。   これを「出来レース」と思えない人がいれば、その人は相当な聖人か平和ボケ症状 最末期といえるでしょう。  このデモに関しても、シュワルナゼはコメントしています。  03 年 11 月 29 日付朝日新聞。  
〈「混乱の背景に外国情報機関 シェワルナゼ前大統領と会見   野党勢力の大規模デモで辞任に追い込まれたグルジアのシェワルナゼ前大統領 は28日、首都トビリシ市内の私邸で朝日新聞記者らと会見した。大統領は混乱の背 景に外国の情報機関がからんでいたとの見方を示し、グルジア情勢が不安定化を増 すことに懸念を表明した。  前大統領は、議会選挙で政府側による不正があったとする野党の抗議行動や混乱 がここまで拡大するとは「全く予測しなかった」と語った。  抗議行動が3週間で全国規模に広がった理由として、「外国の情報機関が私の退 陣を周到に画策し、野党勢力を支援したからだ」と述べたが、「外国」がどこかは明確 にしなかった。」  
まあ、明確にしなくてもわかるでしょう。  さらに、政変が石油がらみであることについて、03 年 11 月 27 日付産経。  
〈「親米」確保へ巧妙 石油戦略要衝…ブッシュ大統領「最大限の支援」 【ワシントン=近藤豊和】米国は、グルジアの暫定新政権に対し、医療物資を緊 急支援することなどの協力方針を早くも打ち出した。シェワルナゼ前大統領の腐敗 ぶりに見切りをつけ退陣を後押しした米国は、エネルギー戦略上の必要性などから、 引き続きグルジアの「親米外交」姿勢を確保する構えで、ブッシュ大統領は二十六 日、ブルジャナゼ暫定大統領と電話で協議し、グルジアの安定へ「最大限の支援」
を約束した。  国務省のバウチャー報道官は二十五日の会見で、グルジアへ三百万ドル相当の 医療物資を支援し、公正な選挙実施などについて暫定政権と協議するため、代表 団を来週にも派遣すると表明。「グルジアの石油パイプラインをめぐっては、暫定政 権も方針を変えないとみている」と強調した。  報道官が言及したパイプラインとは、カスピ海の石油をトルコ経由で欧州方面に 輸出する「BTCライン」と呼ばれるもので、グルジアを通過する。米国が一九九九年 にグルジア、トルコ、アゼルバイジャンとの間で建設に合意し、来年の完成を目指し ている。  カスピ海の石油は、中東の石油に対する依存率を下げたい米国にとってエネル ギー戦略上極めて重要だ。  このため米国は、グルジアには九一年の旧ソ連からの独立時から積極的な支援 を展開。歴代米政権の援助総額は十億ドル以上にのぼる。〉  
アメリカは、成功パターンを確立しました。  
1、現地のNGOやNPOを支援し、反政府勢力を育てる 2、選挙が実施される。 3、アメリカの意に沿わない政党や候補が勝った場合、選挙監視団が「選挙には 不正があった!」と発表する。 4、 野党はこの発表に乗じて「選挙のやり直し」や「大統領の辞任」を求め大々的 デモを行う。 5、 大統領が辞任するか、再選挙が実施され親米候補が勝利し、革命成就。 
  
このパターンは、その後他の旧ソ連諸国で繰り返されることになります。 グルジアはどうなったか?  
04年1月の大統領選挙で、サアカシビリが勝利。ロシアの旧植民地グルジアに、ア メリカの傀儡政権が誕生しました。  ちなみに、アゼルバイジャンではゲイダル・アリエフが死亡。03年10月から息子のイ リハム・アリエフが大統領を務めています。  なおBTCは、06 年 6 月から稼動しはじめ、ロシアに大打撃を与えつづけています。    アメリカはその後、04 年 12 月にウクライナで「オレンジ革命」を、05 年 3 月、中央ア ジア・キルギスで「チューリップ革命」を起こし、傀儡政権樹立に成功しています。 
 長くなりますので、経緯や証拠の提示はひかえておきます。興味がある方は、拙著 う「中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日~一極主義対多極主義」(草思社)をご一 読ください。  
ウズベキスタンの革命未遂   03~05 年まで、アメリカは絶好調でした。  イラクではフセインを打倒し、旧ソ連諸国では三つの革命を成功させた。   「このまま旧ソ連諸国を、全部アメリカの支配下においてしまえ!」  
 くらい勢いがあったのです。  
 しかし、事態は思わぬ方向に転がっていきます。 (アメリカが革命を起こした)中央アジア・キルギスの西隣にウズベキスタンという国 があります。91 年 8 月にソ連から独立しました。  
大統領は、当時から今にいたるまでず~とカリモフさん。欧米の規準でいえば、独 裁国家といえるでしょう。  チューリップ革命から 2 ヶ月後の 05 年 5 月、この国で革命未遂が起こりました。   ウズベキスタン東部のアンディジャン市で05 年 5 月 13 日、武装集団が刑務所を襲 撃し、政治犯の多くを解放。警官を人質に取り、政府施設を占拠します。  これが、大規模なデモに発展。要求は、「カリモフ大統領の退陣」。   武装集団は、反政府イスラム組織「アクラミヤ」を名乗り、この行動は、「カリモフ体 制への反乱」と宣言。デモは市民の参加でみるみる数千人規模に膨れ上がります。 大統領は、即座に現地に飛び、鎮圧部隊を出動させました。   部隊は、反政府暴動を武力により鎮圧します。ロイターによると、約500人の犠牲 者が出た(政府発表では169人)。  
カリモフ大統領は 5 月 14 日、「大勢の群集が無秩序をもたらす危険があった」と述 べ、武装集団および民衆への発砲を正当化しました。   
キルギスの革命からわずか 2 ヵ月後に、お隣の国で起こったこの事件。果たしてア メリカが背後にいたのでしょうか?  
これは、はっきりとわかりません。そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。 
  
しかし、事実としてこの事件が、アメリカの後退とロシア逆襲のきっかけになりまし た。  
 まずアメリカの反応はどうだったのか?  米国務省は 5 月 19 日、「何百人ものデモ参加者が軍の暴力で殺害され、厳しい態 度を取らざるを得ない」と発表。   さらに、「ウズベキスタン支援の一時停止を米国務省内で検討中」とし、同国の民 主化を進めるために制裁を含む措置を取ること、外交政策を根本的に見直す方針を 明らかにします。   さらにライス米国務長官(当時)は5月20日、国務省で「カリモフ政権に真相究明の ための調査を受け入れるよう求めている」と述べ、ウズベキスタンが国際調査団を受 け入れるよう要求しました。  
  しかし、カリモフもこれまでのカラー革命の経緯を知っています。国際選挙監視団は、 欧米に都合の悪い大統領を常に非難し、反政府勢力を後押ししてきた。  
もし欧米の息がかかった国際調査団が来て、「カリモフ大統領の行動はあまりにも 非人道的だった!」などと発表されたら……反政府勢力が勢いづいて革命行動が再 燃する可能性が出てきます。   ライスはさらにいいます。「そのうえで、人権問題で改善が見られない場合は支援 を見送る」。  
この時ロシアや中国は、たくさんの民衆を殺したカリモフを一言も非難しませんでし た。  
旧ソ連諸国の独裁者たちは、はっきりと理解したのです。次のように――  
1、 アメリカとつきあっていると、いつ革命を起こされるかわかったもんじゃない! (だからできるだけつきあわないほうがいい) 2、 ロシアと中国は、俺らと同じ独裁国家。両国は「民主化」も要求しないし、独 裁者同士話しもしやすい。これからはロシア・中国とつきあおう! 3、  革命は、大統領が決心して武力鎮圧すれば、防ぐことができる。   カリモフは、さっそく行動にでました。金をくれない、革命を組織するアメリカとつ きあっても「百害あって一利なし」です。  ウズベキスタン政府は 05 年 7 月 30 日、アメリカに対し、01 年のアフガン攻撃時 から駐留していた米軍の180日以内の撤退を、正式に要求しました。   アメリカ激怒  
03 年末から 05 年 3 月まで、アメリカはイケイケでした。グルジア、ウクライナ、キル ギスで革命戦 3 連勝。  ところが、ウズベキスタンの革命未遂事件から流れが一転。  
中央アジアは中・ロよりにシフト。東欧でも、ウクライナで親ロ派が実権を奪取。ベラ ルーシでも親ロの大統領が勝利。   アメリカは激怒し、対ロ・バッシングはドンドンエスカレートしていきました。 例えば、ミュンヘン安全保障会議(06 年 2 月 3 日~5 日)。アメリカのマケイン上院 議員(後の共和党大統領候補)は、G8の首脳達に、「サンクト・ペテルブルグサミット への不参加」を呼びかけます。  
 その理由について同議員は、プーチンのロシアは「民主主義国家でもなく」「世界経 済のリーダーでもない」から。  
 もっとすごいことも言っています。  同氏によると、世界の 3 大問題は「不安定なイラク」「核兵器を保有するイラン」そし て、「プーチンのロシア」。  
ブッシュはベラルーシ大統領選とウクライナ議会選後の 06 年 3 月 29 日、ワシント ンで演説。 「私はロシアを見放していない!」と語ります。  アメリカでは当時、「ペテルブルグサミットをボイコットすべき」という意見が多かった。 
 これについてブッシュ。  
「私のプーチン大統領に対する戦略は率直に話せる関係にあることだ。私は彼と多 くの時間を過ごし、(ウクライナなど)近隣の民主国家、国内の民主主義を恐れるべき でないと明確に伝えてきた。ロシアは西側諸国と協調することが自らの利益だと理解 するだろう」  
 ここでブッシュは二つのことをいっています。  1、旧ソ連諸国での民主国家・国内の民主主義を恐れるな(建前)。  →旧ソ連の国々でアメリカが民主革命を起こすことを邪魔するな。 ロシアでアメリカ が革命を起こすのを邪魔するな(本音)。  
 2、西側諸国と協調することがロシアの利益だ(建前)。  →中国やインドと結託して、アメリカの一極支配に対抗するとひどい目にあわせる ぞ!(本音)。  
 今度は、ネオコンの首領チェイニーさんが登場します。  
「民主的選択共同体」という集まりがあります(05年創設)。提唱したのはウクライナ のユシチェンコ大統領(当時)と、グルジアのサアカシビリ大統領。  
目的は「旧ソ連諸国の民主化を推進する」こと。要は、カラー革命をどんどん起こす ための集まり。性格的には完全反ロ。そして、もちろんアメリカが後ろにいます。   この共同体の首脳会談が06年5月4日、リトアニアの首都ビリニュスで開かれまし た。参加したのはウクライナ、グルジア、モルドバ、ラトビア、エストニア、ブルガリア、 ポーランド、ルーマニア、リトアニアの首脳。   そして、アメリカ合衆国副大統領(当時)チェイニー。  演説で何をいったか。  チェイニー「ロシアでは今日、反改革派が、10年間の成果をぶち壊そうとしている」。  反改革派というのは、プーチンと旧KGB軍団のこと。  
 チェイニーは、ロシアが「石油とガスを恫喝と脅迫の道具として使っている」と非難。 さらに、「隣国の領土保全を傷つけたり、民主化運動に介入することは正当化されな い」。 
 領土保全を傷つけているというのは、ロシアがグルジアからの独立をめざす南オセ チアなどを支援していることを指しています。   民主化運動に介入するというのは、ベラルーシのルカシェンコを支持したり、ウクラ イナむけのガス料金を値上げしたこと等々。  ビリニュスでは共同声明が出されています。  内容は  
 1、東欧民主化プロセスへの直接的・間接的支援を欧州諸国に要請する。  つまり、欧州も反ロカラー革命を支援してください。  2、東欧の新しい民主国家は、EU加盟をすすめるべく、法改正を行う。  つまり、「皆さんロシアの影響圏を離れEUに入りましょう」。  3、ロシアに対して共通の一体化したアプローチをとることを欧州に提案す る。  つまり、「(親ロの)フランスやドイツもアメリカと一体化して、反ロになっ てください」。  4、EUに加盟していない欧州諸国は、自由貿易圏を作る   プーチンの歴史的決断   狂ったようにロシアバッシングをつづけるアメリカ政府。これに対し、プーチンは歴 史的な決断を下します。  
 プーチンは 06 年 5 月 10 日、年次教書演説を行いました。ロシア政府の本音がよく 表れています。  
「私たちは世界で何が起こっているか見ている。私たちは見ている。いわゆる『オオ カミさんは誰を食うか知ってる』。食って誰のいうことも聞かない。そして、聞く気はな いようだ」  
これは、オオカミのアメリカが、アフガニスタンとイラクを攻撃し、イラン攻撃を計画 していることを指摘したのです。  
「自分の利益を実現する必要があるとき、人権と民主主義のための戦いへの熱意 はどこにいってしまうのか? ここではなんでもありだ、なんの制限もない」  
アメリカは「人権を守れ!」「独裁反対」ですね。 しかし、石油がたっぷりある国の親米独裁者(例、サウジ・カザフスタン・アゼルバイ ジャン等々)を保護している。要は反米の独裁者=悪、親米の独裁者=善。   プーチンは、オオカミ対策として、「軍拡の必要性」を強調しました。しかし、アメリカ の軍事費はロシアの 25 倍(!)、他の対策が必要です。   演説中もっとも重要な発言は、「ルーブルをドル・ユーロなどの主要通貨と完全交 換可能にする準備を 06 年 7 月 1 日までに完了する」と宣言したこと。  
 ロシアは、ルーブルと外国為替との交換を制限していましたが、これを撤廃します。  さらに「石油など我々の輸出品は、世界市場で取引されており、ルーブルで決済さ れるべきだ」 「ロシア国内に石油、ガス、その他商品の取引所を組織する必要がある」。  取引通貨はもちろんルーブル。   皆さんはもうおわかりでしょう。   世界最大の財政赤字・貿易赤字・対外債務国家アメリカが生き延びているのは、ド ルが基軸通貨だからでした。  
ドルが基軸通貨でなくなれば、ドルは暴落しアメリカは没落する。  
フセインは2000年 11 月に、石油の決済通貨をドルからユーロにし、アメリカから 攻撃されました。  
プーチンは、フセインと同じ決断をしたのです。 しかも、イラクとロシアでは世界に与えるインパクトが全然違います。 
  
そもそも、プーチンはアメリカのアキレス腱を知っていて、「ドルの使用量を徐々に 減らす」方針を取ってきました。  
ロシア中央銀行は 06 年 6 月、「外貨準備に占めるドルの割合をこれまでの 70%か ら 50%に下げる」と発表しています。そして、ユーロを 40%まで引き上げる。  
ロシア中銀のイグナチエフ総裁は、外貨準備の中に円やポンドを加え、ドル離れを さらに加速させる意向を示しています。  
またメドベージェフ第 1 副首相(当時 現大統領)は 06 年 6 月、アメリカの双子の赤 字から生じるリスクを低減するため、各国は準備通貨としてのドルへの依存を減らす べきだと提言している。  
プーチンは、言葉で脅すだけでなくすぐ行動に移しました。 ロシア取引システム(RTS)で06 年 6 月8日、初のルーブル建てロシア原油の先物 取引が開始されました。    アメリカの超エリートは、プーチンの決断に、卒倒したに違いありません。  
  06 年 6 月 6 日、キッシンジャーがモスクワに来てプーチンと会談。同氏は「米ロ関 係は年々改善している」とお世辞(大ウソ)をいい、プーチンをなだめようとしました。   また、日米欧 3 極委員会は 6 月 30 日、ロシアに関する提言書を発表。 「西側の視点から見るのではなく、ロシアの現状を理解すべき」とし、「ロシアがより協 力的な路線に復帰するようサミットを活用すべき」と提案します。  
 06 年 7 月 15 日̃17 日に行われたサンクトペテルブルグ・サミットでも、ブッシュはロ シア批判をしませんでした。   ロシアはアメリカを短期間で没落させることのできるカードを手にしたのです。