●普通、商品の値段はそれを作った企業が市場動向などを考慮しながら設定していくものだが、一昔前の石油の価格はそうではなかった。商品を作る側である「産油国」は、価格決定をはじめとする国際的な原油管理全般を、欧米の「国際石油資本(セブン・シスターズ)」に握られていたのである。

これに対抗するために構成された政府間国際機構が「OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries)」である。

 


「OPEC」の旗

 

●「OPEC」はまず1960年9月に、イラン・イラク・クウェート・サウジアラビア・ベネズエラの5カ国で設立。その後にカタール・リビア・インドネシア・アルジェリア・アラブ首長国連邦・ナイジェリア・エクアドル・ガボンの8カ国が加盟し、13カ国となった。(本部事務局はオーストリアのウィーン)。

この「OPEC」が設立されたことによって、生産・価格の管理が後進国の手にも移ったわけだ。

 


中東全体の地図

 

●ところで、20世紀は石油の発見とともに始まった「石油の時代」であるが、石油なしに工業製品を生み出すことは不可能であり、工業製品を生み出せなくては、現代社会は成り立たないといえる。

よって、限られた資源である石油を産出できることは、全世界に強力な発言権を持つことに等しいといえよう。

「石油を武器とする見地に立って石油活動を行なう」とは「OAPEC(アラブ石油輸出国機構)」設立の第一目的である。石油を武器としてアラブ諸国の力を世界に誇示しようというのだ。


●1968年、第三次中東戦争(6日戦争)で「OPEC」が“反イスラエル”に結集しなかったのを理由に、反イスラエルのサウジアラビア・クウェート・リビアの3カ国が「OAPEC」を設立した。

その後、イラク・アラブ首長国連邦・カタール・バーレーン・アルジェリア・シリア・エジプト・チュニジアが加盟。本部はクウェートに置かれている。

 

 
1967年6月の第三次中東戦争(6日戦争)でイスラエル軍は圧倒的な強さを見せた。
(右)はヨルダン側に「奇襲」をかけるイスラエル軍。

この「奇襲」攻撃により、アラブ諸国は航空機300機以上、
空港、レーダーサイトなどを失い、アラブ諸国の航空戦力は壊滅した。
エジプト、シリア、ヨルダンの三国はイスラエル軍の戦死者730人の20倍を
越える15,000人の人的被害を出し、戦車や装甲車などの大量の兵器が
奪取された。 この戦争によってイスラエルは、ガザ地区、シナイ半島、
ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原を占領した。(イスラエルの
国土は4倍以上に膨れ上がった)。

 

●「OAPEC」の原油生産量は世界の生産量の約3分の1を占めているが、石油が“武器”となって世界に脅威を与えた例としては、「第一次石油危機」が挙げられる。

これは1973年の第四次中東戦争に際して「OAPEC」が、石油消費国に対して「禁輸政策」をとるという石油戦略を発動したことに端を発しているのであるが、「OAPEC」はこの時、原油価格をそれまでの価格の4倍に引き上げる政策をとり、世界中に「オイル・ショック」を引き起こした。

しかし、結果として石油需要が大幅に減少し、石油供給過剰の事態に陥ってしまった。そのため現在では、その教訓を学んだ「OPEC」が、原油価格を市場実勢に合わせて“修正値下げ”するようになっている。

 


「OAPEC」の旗

 

●なお、「OAPEC」の協定には「OPEC決議に従う」ことが明記されており、「OAPEC」は基本的に「OPEC」を補完する立場にあるといえる。