●シン・ベトは別名「シャバク」とも呼ばれている。正式名称は「シェルト・ビタホン・クラリ」で、「シン・ベト」という呼び名はこの「シェルト・ビタホン」の部分だけを略したもので正確ではない。しかし、「シン・ベト」という呼び名のほうが一般的によく知られているので、当館では「シン・ベト」と呼ぶことにする。


●シン・ベトは1948年に創設され、主に占領地におけるパレスチナ人の監視や、国内の破壊活動の防止、外国スパイの摘発を任務としている。初期のシン・ベトは社会と隔絶した小組織で、無名の存在だった。マスコミ検閲により、機関の名も活動ぶりも報じられることはなかった。機関員の名を報じるのは違法行為だった。


●1967年の第三次中東戦争(6日戦争)でイスラエルがアラブに対して完全な勝利を収めると、イスラエルの全諜報機関の長官からなる「ヴァラシュ委員会」は、シン・ベトの国内公安任務を新占領地にも広げることを決定した。これによって、シン・ベトは西岸地区とガザ地区の全域に、情報提供者や秘密スパイ網を張り巡らすことに成功した。

密告者たちは、しばしばシン・ベトにゲリラの奇襲計画を事前通報した。シン・ベト工作員たちは、内部情報を手掛かりに、破壊活動の密議をこらす現場を急襲したり、テロ攻撃に向かうパレスチナ人のゲリラ部隊を待ち伏せて捕まえることに成功した。

 
●パレスチナ住民が建設許可を申請すると、占領地の軍政当局は、まず地元のシン・ベト工作員に照会した。アラブ商人がガザ地区の柑橘類や西岸地区のオリーブ油を輸出しようとしても、シン・ベトの同意がなければ許可証は得られなかった。パレスチナ人たちの日々の、いや、分刻みの行動を掌握する任務を、シン・ベトは事業家が事務をこなすようにやってのけた。ゲリラ組織の内部情報を提供する密告者は、その代わりに安全を保証され、特別報酬を受け取った。

更にシン・ベトは、イスラエル国内の一般刑務所内のシン・ベト直轄の収容棟とは別に、占領地に独自の「拘束センター」を作った。パレスチナ人たちが逮捕されると、まっすぐに特別収容棟か、この拘束センターに送られた。そしてそこで、テロ容疑のパレスチナ人たちは手荒な尋問を受けた。


●1967年12月までに、シン・ベトは驚くべき成果を収めた。PLO細胞のほとんどは破壊され、西岸地区のPLO本部はヨルダンへと撤退した。約200人のパレスチナ・ゲリラが、イスラエル軍やシン・ベトとの戦闘で殺され、1000人以上が逮捕された。シン・ベトの暗躍で、パレスチナ人たちは新占領地において大衆蜂起を組織する道を阻まれたのである。

こうしてシン・ベトは、1967年を境にして抑圧勢力に変貌し、占領地とその住民を統治する中心的な役割を果たすことになった。占領者の治安機関となり、自信を強めると同時に、尊大にもなった。広範な地域を支配するため、以前の緻密な完璧主義は、拙速主義のやっつけ仕事に変わってしまったようである。

 
 
 
<シン・ベトの歴代長官>
 

イサー・ハレル (1948~52)
イツィ・ドロト (1952~53)
アモス・マノル (1953~63)
ヨセフ・ハルメリン (1964~74)
アブラハム・アヒトュヴ   (1974~81)
アブラハム・シャロム (1981~86)
ヨセフ・ハルメリン (1986~88)