●ローマ帝国の迫害によって離散の民となったユダヤ人は、ユダヤ教保守派(パリサイ派)の生き残りを中心としていたため「パリサイ人」とも呼ばれた。「パリサイ」とはヘブライ語で「特別な者」という意味である。

彼らはガリラヤやティベリアにサンヘドリン(ユダヤ長老議会)を設置し、「新ユダヤ教」を信仰する共同生活を送り始めたのだが、今までに体験したことのない前代未聞の「イジメ」に遭遇するようになったのである。

今回はこの「イジメ」の実態について触れていきたい。

 

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●476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国が滅び、7世紀にムハンマドを指導者とする「新興宗教イスラム教」が誕生すると、それまでキリスト教によって圧迫を受けていたパレスチナ地方は、イスラム運動の支配下に入った。

イスラム教によって民族的に目覚めたアラブ人により、イスラム帝国は急激な成長を遂げ、西アジアから北アフリカ、そして南ヨーロッパ一帯にかけてを版図にし、キリスト教圏と対峙した。


●しかし、イスラム教徒は一部の例外もあるが、基本的にはユダヤ人を迫害し弾圧するということはなかった。なぜならば、アラブ人とユダヤ人はアブラハムの兄弟関係に当たるからである。そのため、アラブ人はユダヤ人を被保護民族と位置づけ、特別な人頭税を課す代わりに、その宗教と生活を保護した。そのため、ユダヤ人は本部をバビロンに置いた。


●このように、イスラム圏内の大多数のユダヤ人は、身分差別をされながらも、その共同体を保ったまま、安定した生活を送ることができたのである。しかも、 中世イスラム社会では、ユダヤ教学最高の学者マイモニデスを一大頂点とした学術活動がなされ、ユダヤの思想文化面に輝かしい展開もみられたのである。

 



↑キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はともに
「セム系一神教」を母体に持つ兄弟宗教である

 

●だが、中世イスラム社会とは対照的に、中世ヨーロッパ社会、すなわちキリスト教社会においては、古くからユダヤ人を嫌悪する差別感情が定着していたため、ユダヤ人の職業は制限されていた。1078年にローマ教皇グレゴリウス7世がユダヤ人に対し「公職追放令」を発令すると、全ての職業組合からユダヤ人が締め出される事態となった。

キリスト教は、他人にカネを貸して利息を取ることは罪悪であると考えていた。ところが、ユダヤ教は『タルムード』の中で異邦人から利子を取ることを 許していたので、ユダヤ人は古くから自由に高利貸業を営むことができた。そのため公職追放令が発令されると、ユダヤ人はキリスト教徒には禁止されていた金 融業に喜々として手を染めていったのである。「カネに汚い高利貸し」というイメージがユダヤ人に定着したのはこの頃からだと言われている。


●11世紀に「イスラム東方世界」が分裂すると、それまでユダヤ人に対して穏健であったイスラム政権は、ユダヤ首長を追放。これによりバビロンのサンヘドリン本部は陥落してしまった。そのため、彼らは本部をヴェニスに移動した。ヴェニスはユダヤ商人の活躍により、地中海貿易最大の港町へと発展していった。

そして、ローマ教皇の指導により、異教徒イスラム勢力討伐のための十字軍遠征活動(1095年より7回派遣)が開始されると、イスラム社会はキリスト教徒によってかき乱された。しかし、真っ先に血祭りの対象になったのはユダヤ人であった! ユダヤ人は悪魔がキリスト教国とその信徒を抹殺するために送り込まれた“悪魔の集団”とみなされていたのである。


●結局、十字軍遠征活動は聖地エルサレムを奪回するという第一目標を果たせなかったのみならず、ヴェニスの商人の策略によってキリスト教徒同士(カソリッ ク&東方正教会)が討ち合うという有名な悲劇的大事件(コンスタンチノープル攻略事件)を招き、キリスト教史に非常に深い傷跡を残してしまった。



●十字軍遠征活動に代表されるように、キリスト教の修道士や騎士階級が異教徒征伐政策を正当化するにつれて、ユダヤ人に対する迫害は露骨になっていった。13世紀にローマ教会が「異端審問制度」を確立すると、ローマ教会の横暴さは頂点に達した。

紀元1世紀前後に、古代ローマ帝国に迫害されたオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)の多くはスペインに 移住していたが、このイスラム勢力下にあったスペインが、15世紀にキリスト教勢力に支配されると、スペインの地にいたユダヤ人は全て国外追放されてし まった(1492年の有名なユダヤ追放事件)。この事件以前にも、ユダヤ人はイギリスやフランスから追放されたことはあったが、スペインのそれは徹底的な ものであった。

 


異端審問の様子

スペインでは、ユダヤ人を強制的に
キリスト教に改宗させる政策がとられ、
ユダヤ人の中にはキリスト教に改宗する者
「コンベルソ」が現れた。しかし彼らはユダヤ人
たちから「マラノ(豚)」と呼ばれ、蔑視された。

また、市民から「隠れユダヤ教徒」だと告発された
「コンベルソ」は、「異端審問所」に連行され、拷問
にかけられた。そして異端とされた者は、両手を
縛られた上に、三角帽子をかぶらされて、
火刑場に送られたのである。

 

●この時、スペインから追放された大量のオリエンタル・ユダヤ人たちは「スファラディ系ユダヤ人」と呼ばれ、東欧圏で生活していた白人系ユダヤ人とは区別されている。

 

アシュケナジー系ユダヤ人と
スファラディ系ユダヤ人の移動地図

 

●ユダヤ人を追放しなかったキリスト教国でも、イエスを殺害した民族という偏見から、ユダヤ人は抑圧対象とされた。中でも「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」の誕生はその典型である。

ゲットーは1554年にヴェネチアに初めて設置されたもの(異説もある)で、ローマ教皇パウルス4世がユダヤ人にゲットーへの居住を強制すると、ま たたくまに世界各地へ広まった。ゲットー内ではシナゴーグ(ユダヤ教会堂)や学校が設置され、ユダヤ人の高い教育水準と宗教文化が保たれることになった が、ユダヤ人に対する差別政策は完全に制度化してしまったのである。

 

 
「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」

16世紀に誕生した「ゲットー」は、またたくまに世界各地へ広まり、
その後、約300年間存続した。各地の「ゲットー」には2つ以上の門を
設けることが禁止され、高い塀で囲まれ、門の扉は外から閉ざさ
れたうえ、施錠され、鍵はキリスト教徒門衛が保管していた。


 
イギリスが誇る天才劇作家
ウィリアム・シェークスピア
(1564~1616年)

『ヴェニスの商人』は1597年頃に書かれた戯曲である。
シェイクスピアの作品のなかでは「喜劇」のカテゴリーに
入っているが、驚くほどユダヤ人を差別している表現が多く、
「反ユダヤ感情」を煽る内容になっている。しかし当時の
芝居ではこういうユダヤ人の扱いは自然だった。

 

●しかし、全てのユダヤ人がゲットー生活を強いられていたわけではなかった。完全に自由な特権を享受していたユダヤ人が存在していたのである! 彼らはドイツ諸侯の高級官僚や宮廷出入りの御用商人となっていたため「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人)」と呼ばれていた。彼らは天性の商才によって、莫大な富を蓄積していった。現在、世界最大最強の財閥として地上に君臨しているロスチャイルド財閥も、もともとはホフ・ユーデンの出であることで知られている……。