●アヘン戦争以降、ユダヤ財閥たちは競って中国へ上陸していった。


「サッスーン財閥」はロンドンに本部を置き、上海に営業所を設け、英・米・仏・独・ベルギーなどのユダヤ系商事会社、銀行を組合員に持ち、「イングランド銀行」および「香港上海銀行」を親銀行に、鉄道、運輸、鉱山、牧畜、建設、土地・為替売買、金融保証を主な営業科目として、インド、東南アジア、インドシナ、中国に投資を展開していった。

 

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●1930年には、彼らの極東開発計画のため、上海に「サッスーン財閥」の本拠地を建設し、25億ドルの資本による「50年投資計画」を開始した。(毎年1億ドルの投資を25年間継続して、中国の経済と財政を完全に掌中に握り、後半期25年で、投資額の4倍の利益を搾取する、というのが当時の彼らの計算であった)。
 

 

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(左)中国の地図 (右)「サッスーン財閥」の拠点だった上海(Shanghai)

上海は元は寂しい漁村だったが、「アヘン戦争」の結果として
イギリスの対外通商港となり、一挙に中国最大の都市に成長した。
繁栄をきわめ、「魔都」とか「東洋のニューヨーク」と呼ばれた。


右上の写真は1930年頃の上海であるが、
あたかも当時のアメリカのニューヨーク、イギリスのロンドンかと
錯覚を覚える。これらのビル群は「サッスーン財閥」に代表
されるユダヤ資本によって建てられたものである。







インドのロスチャイルド「サッスーン財閥」は、デビッド・サッスーンの死後、アルバート・サッスーン、次いでエドワード・サッスーンが相続し、三代の間に巨富を築いた。(この「サッスーン家」は「ロスチャイルド家」と血縁関係を結んでいる)。
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上の家系図は広瀬隆氏が作成したもの(『赤い楯』より)。この家系図の登場人物は、全員がユダヤ人である。
二代目のアルバート・サッスーンの息子エドワード・サッスーンの妻は、アリーン・ロスチャイルドである。
香港最大の銀行「香港上海銀行」のほとんどの株を握ったアーサー・サッスーンの義理の弟は、
金融王ネイサン・ロスチャイルドの孫レオポルド・ロスチャイルドだった。

 


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エドワード・サッスーン

アリーン・ロスチャイルドと結婚



●サッスーン一族の繁栄の最盛期を具現化したエリス・ビクター・サッスーンは、不動産投資に精を出し、破綻会社の不動産を買い叩き、借金の担保の不動産を差し押さえた。そして彼は、「グローヴナー・ハウス(現・錦江飯店中楼)」、「メトロポール・ホテル(現・新城飯店)」、「キャセイ・マンション(現・錦江飯店北楼)」などを次々と建築した。

中でも彼の自慢は、「東洋一のビル」と称えられた「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」で、サッスーン家の本拠とすべく建設したものであった。

その後、貿易、運輸、各種軽工業などにも事業展開していったエリス・ビクター・サッスーンの最盛期の資産は、上海全体の20分の1もあったと言われている。彼は「東洋のモルガン」の異名を持っていた。

 

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ユダヤ人エリス・ビクター・サッスーン
頭文字から「イヴ」と呼ばれた。
上海の不動産王(上海キング)
(1881~1961年)

 


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この建物は「サッスーン財閥」の居城だった「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」である。
頭頂部のピラミッドを思わせる塔が特徴であり、当時は「東洋一のビル」と称えられた。
10階から上のペントハウスはサッスーンの住居である。1929年に建設された。



●ちなみに、上海におけるユダヤ人口は、中東出身のスファラディ系ユダヤ人700人、欧米系のアシュケナジー系ユダヤ人4000人ほどであったが、「アヘン戦争」以来、上海港を根拠地として発展した英・米・仏国籍のスファラディ系ユダヤ人が、あらゆる点で支配的勢力を占めていた。

(※ 「上海証券取引所」の所長と99人の会員の3分の1以上がスファラディ系ユダヤ人であった)。

 

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(左)上海のユダヤ教徒 (右)上海のユダヤ人学校の生徒たち

「アヘン戦争」以来、上海港を根拠地として発展した
英・米・仏国籍のスファラディ系ユダヤ人が、
あらゆる点で支配的勢力を占めていた

 

直木賞受賞作家の西木正明氏が書いた、ノンフィクション小説『ルーズベルトの刺客』(新潮社)には、上海のユダヤ人が大勢登場するが、サッスーンについて次のように紹介されている。


上海屈指の豪商サッスーン一族は、18世紀初頭イラクのバグダッドに出現したスファラディ系ユダヤ人である。当時の大英帝国の東方進出に協力して、まずインドのボンベイに拠点をかまえた。やがて東インド会社が支那にアヘンの密輸を開始すると、その取引に荷担して莫大な富を蓄積した。

19世紀半ばアヘン戦争に破れた清朝が上海に租界の設置を認めると、時を移さず上海に進出し、アヘンを含む物資の売買を開始した。そして、わずか1世紀足らずの間に、金融、不動産、交通、食品、重機械製造などを傘下に擁する、一大コンツェルンに成長した。

その中には、金融業として『サッスーン・バンキングコーポレーション』『ファーイースタン・インベストメント・カンパニー』『ハミルトン・トラスト』、不動産では『上海プロパティーズ』『イースタン・エステート・ランド』『キャセイ・ランド』、重機械製造部門として『シャンハイ・ドックヤード』『中国公共汽車公司』『中国鋼車製造公司』、さらに食品関係では『上海碑酒公司』というビール会社などが含まれている。

支那四大家族のむこうをはって、ジャーディン・マセソン、バターフィルド・スワイヤ、カドーリなどとともに『上海ユダヤ四大財閥』と呼ばれる理由はここにある。

当主のビクター・サッスーンは、ようやく五十路に手がとどいたばかりの、独身の伊達男で、彼の顔写真が新聞に登場しない日はないと言ってよかった。」

 

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『ルーズベルトの刺客』
西木正明著(新潮社)



●上海のユダヤ人富豪は、サッスーンを中心として幾つかあった。
 


サー・エレー・カドーリ

香港と上海の土地建物、ガス、水道、電気、電車など公共事業を経営。
ローラ夫人が亡くなると、長崎出身の日本人女性(松田おけいさん)が
後妻としてカドーリ家に入った(1896年)。

 


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サー・エレー・カドーリ 
(1867~1944年)

 


サイラス・ハードン

イラク(バグダッド)出身の英国籍ユダヤ人。
当時の上海の南京路の大通りの大部分は彼一人の所有であった。

 


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サイラス・ハードン
(1851~1931年)

 


ルビー・アブラハム

ビクター・サッスーンの伯父の長男。英国籍のスファラディ系ユダヤ人。
父親は上海ユダヤ教徒の治安判事を務め、英国総領事館法廷で
ユダヤ式判決を勝ち取った人物で、「アーロン(長老)」の敬称を受け尊敬されていた。

 


エリス・ハイム

ルビー・アブラハムの夫人の兄。英国籍のスファラディ系ユダヤ人。
「上海証券取引所」屈指の仲買人として活躍。
サッスーン財閥と深い関係を結んでいた。




※ 追記: 

●ドイツのボン大学で日本現代政治史を研究し、論文「ナチズムの時代における日本帝国のユダヤ政策」で哲学博士号を取得したハインツ・E・マウル(元ドイツ連邦軍空軍将校)は、著書『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』(芙蓉書房出版)の中で、次のように語っている。

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(左)ハインツ・E・マウル。元ドイツ連邦軍空軍将校。
(右)彼の著書『日本はなぜユダヤ人を迫害
しなかったのか』(芙蓉書房出版)



「上海のユダヤ系の経済パイオニアは、サッスーン、カドーリ、ハードン、エズラの4家族だった。早いものは1832年からこの町で商売をしており、経済帝国を築き上げていた。

その影響力は、市当局が武装した『商人部隊』の編成を外国人に認めたことでも分かり、これは1928年にイギリスをモデルとした1400人の上海自衛団に改組された。自衛団にはいわゆる『ユダヤ中隊』があり、200人から250人がこれに属していた。その後ユダヤ難民がこれに加わり強化された。」

 

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(左)掲示板に見入る上海のユダヤ人
(右)上海のユダヤ人街のユダヤ自衛団員