●1789年、「自由・平等・博愛」を掲げるフランス革命が勃発すると、その2年後に、フランス議会はユダヤ人に平等の権利を認めた。つまり、法的にユダヤ人差別の撤廃が決定されたのである! これはユダヤ史上、画期的な出来事であった。

ナポレオンがその人権宣言を基に、ユダヤ人を隔離してきたゲットーを解体すると、その潮流はヨーロッパ各国に広がっていき、世界的にユダヤ解放政策が行なわれた。

 


ナポレオン・ボナパルト
(1769~1821年)

 

●もともと優秀な頭脳に恵まれていたユダヤ人は、それまでのゲットーでの隔離生活から解き放たれると、水を得た魚のように爆発的に各界に進出し、各地で目立つ存在になった。しかし、ユダヤ人の解放が行なわれたとはいえ、それは法的なレベルであり、現実的にユダヤ人差別が解消されたわけではなかった。

ユダヤ人は国家を持っていなかったので、他人の国に住み着くしかなかった。そのため民主・民族主義の興隆とともに、ユダヤ人を自分たちの国から排除しようとする強烈な反ユダヤ主義勢力(ナチスなど)が台頭するという最悪の事態が生じた。


●19世紀初頭から、ドイツを中心に反ユダヤ暴動が起こっているが、これはユダヤ人を諸悪の根源とみなす過激な反ユダヤ主義運動にまで発展し、1870年代頃から顕著になってきた。ロシアでは1881年から「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に起こり、十数万人がその犠牲になった。

1894年のフランスでは、ユダヤ人士官アルフレッド・ドレフュスが国家機密文書をドイツに売ったというスパイ容疑で逮捕されるという「ドレフュス事件」が起こり、真偽を巡ってフランスの世論は二分された。この事件は結局、冤罪ということが判明したが、ドレフュスがユダヤ人であったために、犯人にでっちあげられたのである。



●近代ヨーロッパ社会において、ユダヤ人の解放と脱ユダヤ化(キリスト教社会への同化現象)が進むようになってからも、ユダヤ人に対する弾圧や差別は依然として解消されなかった。そのために、ユダヤ人の間に伝統への回帰指向が強まり、“ユダヤ版の民族主義”すなわち「シオニズム(シオン/Zion主義)」が盛んになっていった。

シオニズム運動とは一般的に「ユダヤ人がその故地“シオン(Zion)の丘”に帰還して国家を再建する運動」と解されている。ここでいう“シオンの丘”とは、かつてソロモン神殿があった聖地エルサレムを中心にしたパレスチナの土地を意味している。


●ユダヤ国家再建のためのシオニズム運動は、厳密には「政治的シオニズム運動」と称されるものであり、その他に、離散ユダヤ人のためにパレスチナに精神的中心機関を設置し、ユダヤ固有の文化を興隆させようとする「文化的シオニズム運動」もある。更には、ユダヤ人は国家を失っても固有の宗教民族性を保持できたのであるから、あらゆる国の中にユダヤ人の精神的国家を樹立すべきだという「修正シオニズム運動」や、土地の開拓に基礎をおいた「実践シオニズム運動」などもあった。

近代における反ユダヤ主義と民族主義の台頭が、シオニズム運動形成への大きなベクトルとなったことは疑いがない。ユダヤ人は迫害されればされるほど民族的結束を強めていき、自分たちの民族的独立を夢見た。そのため、各種シオニズム運動の中で主流となったのは、政治的シオニズム運動と実践シオニズム運動を統合した「総合シオニズム運動」であった。


●シオニズム運動の先駆者にはモーゼス・ヘスなどがいたが、政治的シオニズム運動に決定的な役割を果たしたのはテオドール・ヘルツルであった。この「近代シオニズムの父」と称されるヘルツルは、シオニズム運動とは全く無縁な“同化ユダヤ人(キリスト教社会同化者)”であった。ところが、フランスのドレフュス事件に遭遇し、自らの民族感情を呼び覚まされたのであった。


ヘルツルは、ユダヤ人の悲劇の根源は“国家”を持たないところにあると考え、ユダヤ国家樹立こそ急務であるとした。彼は『ユダヤ人国家』を著し、1897年には、スイスのバーゼルで国際的な「ユダヤ会議(第一回シオニスト会議)」を開催し、「世界シオニスト機構」を設立。シオニズム運動の国際認知のために、精力的な外交活動を展開していった。

 

 
(左)テオドール・ヘルツル
(右)彼が書いた小冊子『ユダヤ人国家』

 

●一口に“シオニズム”といっても複雑多様な運動形態があったわけだが、互いに反目しあったり、更にはシオニズムそのものに反対するユダヤ人は少なくなかった。

「文化的シオニズム運動」を提唱していたアハド・ハアムは、ヘルツルの「政治的シオニズム運動」を批判していた。また、ユダヤ教の主流ともいうべき伝統にのっとった「ユダヤ教正統派」は、シオニズム運動そのものが世俗的なものであるとして支持しなかった。ユダヤ人社会主義組織「ブント」のメンバーも、シオニズム運動を“反動ブルジョア的”と決めつけ非難していた。更に「ユダヤ教改革派」も、ユダヤ人は民族ではなく宗教集団であるから、国家を樹立する必要はないとして反対していたのである。

が、しかし、興味深いことに、シオニズム運動は、第一次と第二次にわたる「世界大戦」を通じて急激な展開を見せていく……。

 

 

●1914年に始まった第一次世界大戦において、イギリス政府はユダヤ人に対して、連合国を支援すればパレスチナにユダヤ国家再建を約束するという「バルフォア宣言」を行なった。しかしこのバルフォア宣言は、実際にはイギリス政府とユダヤ人大富豪ロスチャイルドとの間で勝手に交わされたもので、パレスチナの地に圧倒的多数を占めるアラブ人の意向を全く無視した約束だった。

シオニズムを支持するユダヤ人たちはイギリス政府の約束を信じ、連合国に協力して参戦。第一次世界大戦後、パレスチナ地方はそれまでのオスマントル コ帝国の支配からイギリスの信託統治領(植民地)となった。ユダヤ人たちは、いよいよユダヤ国家建設が本格的に着手されると胸を躍らせた……。

 

  
ロンドン・ロスチャイルド家のライオネル・ロスチャイルド(左)と
イギリス外相バルフォア(中央)。(右)はバルフォアが
ライオネル・ロスチャイルド宛に出した手紙=
「バルフォア宣言」(1917年)

 

●しかし、イギリス政府はユダヤ人に対するバルフォア宣言以前に、アラブ人側と「フセイン・マクマホン書簡」も取り交わしていた! イギリス政府はユダヤと同じような取り決め(アラブ国家樹立の約束)をアラブ側にも行なっていたのである!

あの有名なアラビアのロレンスは「アラブ国家樹立」を夢見て活動していたわけであるが、結果的にユダヤ国家樹立計画もアラブ国家樹立計画も宙に浮いてしまったのは、誰もが知るところである。

 

 
(左)イギリスの情報将校だったT・E・ロレンス中佐
(右)イギリスの大作映画『アラビアのロレンス』
(1962年制作/ピーター・オトゥール主演)

 

●宙ぶらりん状態になったパレスチナ地方は、イギリスとフランスの植民地になってしまった! しかも、それまで仲が良かったユダヤ人とアラブ人との間には大きな亀裂が生まれ、この時にアラブ人による本格的な反ユダヤ運動が初めて開始された。そして、ヨーロッパにおける反ユダヤ運動が高まり、それを恐れた多くのユダヤ人が東方の地パレスチナの土地を買い漁り、入植を始めると、アラブ人の反ユダヤ感情は激しいものとなっていった。

 


第一次世界大戦後の中東

 

●1930年代、ドイツに反ユダヤ主義を高々と唱える「ナチズム(アーリア人至上主義)」が台頭してくると、シオニズム運動に対して意見がまちまちであったユダヤ人たちは一致団結し、進んでシオニズム運動に協力するようになった。

ナチス・ドイツによる過激なそして露骨なユダヤ人迫害(ホロコースト)が世界に報道・宣伝されると、世界の多くの人々がユダヤ人に同情するようになった。多くの人がファシズムを恐れ、ユダヤ人に涙した。

ナチスをきっかけにユダヤ人に対する国際世論が180°転換され、良好になったことは、ユダヤ史において非常に重要な意味を持っている。この時期を境にして、ユダヤ人の国際的発言力は高まった。


●なお、ナチスのホロコーストが誇張されて報道されているとか、アウシュヴィッツのガス室は無かったとか、一部の特権的ユダヤ人がナチスに資金援助していたとか主張する研究家が後を絶たないが、真偽はともかくいずれにせよ、“ユダヤ人”と呼ばれる多くの人間が徹底的に迫害されたことは歴史的事実である。



●国際世論に支持される形で勢いに乗ったシオニズム運動は、第二次世界大戦終結後にイスラエル共和国を樹立するという快挙を成し遂げた。

しかし、イスラエル共和国がユダヤ人の純粋な“宗教心”によって建国されたと断定してしまうには、あまりにもムリがあるように思える。

ユダヤ人が悲願の建国を果たしたイスラエル共和国を、超正統派ユダヤ人は認めようとし ない。なぜならば、イスラエル共和国は建国において“メシア信仰”を無視し、しかも政教分離という近代国家の原則を採用した世俗国家であるためだという。 超正統派ユダヤ人からすれば、このようなイスラエル共和国が“国家”と名乗ること自体、神に対する許しがたい冒とくに他ならないという。


●この超正統派ユダヤ人は「聖都の守護者」を意味する「ナトレイ・カルタ」と呼ばれ、現在のイスラエル共和国はユダヤ教の本質を完全に逸脱した世俗的な寄 せ集め集団に過ぎない、として徹底的に批判している。超正統派のユダヤ人の主張によれば、メシア(救世主)が出現して初めて真の栄光に満ちたイスラエル国家が誕生するという。従って彼らは、メシアの出現を待望してやまず、祈りと戒律を厳守した極めて求道的な生活を日々送り続けている。


●超正統派ユダヤ人の主張に限らず、イスラエル共和国が全てのユダヤ人にとっての理想の国であるのかといえば、必ずしもそうといえない現実がある。膨大な 軍事費や移民政策により、国家財政は赤字であり、インフレ率も極めて高い。希望に満ちてイスラエル共和国に移住したものの、失望してもとの国へ帰ってしまうユダヤ人も少なくない。

しかも、イスラエル共和国に住むユダヤ人よりアメリカ合衆国に住むユダヤ人のほうが100万人も多い。また、ユダヤ教そのものが風化し始めており、イスラエル共和国の持つ宗教的求心力は弱まりつつある。

中東戦争は過去4回も行なわれ、かつて迫害される立場にあったユダヤ人は、現在、パレスチナ先住民を迫害する立場に立っている。

何かが矛盾している。

世界の多くの人々も、イスラエル共和国に何か矛盾したものを感じ始めているようだが……。