●1968年12月26日、アテネ空港でイスラエル旅客機がPFLPの襲撃を受けた際、イスラエル首相エシュコールは報復攻撃のため、ゲリラ発進地であるベイルートに兵を送ることを決定。2日後の28日夜、イスラエル特殊部隊はヘリコプターでベイルート南郊の空港に到着した。彼らはレバノン部隊との銃撃戦を展開しつつ、レバノンのミドルイースト航空や他のアラブの航空会社の無人の旅客機13機を炎上させた。

世界中がイスラエルの大胆な行動に驚き、イスラエルが国家テロに及んだと非難した。しかし、欧州勢はイスラエルを非難する陰で、その勇敢さを称賛した。この「ベイルート襲撃事件」で、イスラエル軍がアラブの心臓部を驚くべき正確さで攻撃できると実証したためである。


●ラファエル・エイタン准将の指揮する空挺部隊が遂行したこの作戦は、イスラエル特殊部隊の名声を高めた。これら精鋭三小隊は「サエレト」の名で知られていた。ヘブライ語で「偵察」の意味だが、彼らは偵察よりも遥かに積極的な任務を遂行するスペシャリストで、ゲリラ戦や夜襲や、降下作戦や、各種兵器を使うための厳しい訓練を受けていた。


●イスラエル軍のほとんどの部門が、独自の「サエレト」を持っていた。空挺隊、歩兵隊、海軍、戦車部隊もそれぞれのサエレトを持っていた。そして、こうしたサエレトの上に「サエレト・マトカル」(別名:269部隊)と呼ばれる特別のサエレトがあった。この特別なサエレト隊は、参謀総長と軍諜報機関「アマン」長官の命令の下で、危険かつ困難な任務を遂行した。この最高コマンド隊は軍諜報の作戦を遂行するため、平和時に国境を越えてアラブ世界に侵入する作戦が多かった。


●「サエレト・マトカル」は1960年代に創設されたもので、この部隊を創設したのは「アマン」の高官、アブラハム・アルナン将軍だった。彼はイスラエル軍から最も勇敢で頭脳明晰な兵士を引き抜き、遠隔の地で孤立しながら戦うための徹底した訓練を行なった。部隊は通常、3人か4人の小チームで編成され、密かに国境を越えて偵察基地を設置したり、アラブ諸国の電話線に盗聴装置を仕掛けたり、暗殺したり、人物や特定の目標を拉致するといった任務を遂行する。


●砲撃戦でイスラエル兵数百人、エジプト兵数千人が死んだ1969~70年の「消耗戦争」の際、「サエレト・マトカル」はスエズ対岸のエジプト領内にあるソ連製レーダー基地を急襲し、大戦果を上げた。この新設のハイテク・レーダーを単に爆破するのさえ困難な任務だが、イスラエル軍の作戦はそんな単純なものではなかった。彼らは1969年12月26日の夜、ヘリコプター2機を使って7トンもあるレーダー装置を、回転アンテナごと空中につり上げ、スエズ運河を越えてイスラエル側に運んでしまったのである!

そして、このソ連製レーダーは、厳重に警備されたイスラエル軍基地に運ばれ、「アマン」の分析官らが詳細に調査。このレーダーから得た収穫は、CIAやアメリカ空軍諜報部と分かち合ったという。ちなみに、越境作戦にヘリコプターを使用し始めたのは、この「サエレト・マトカル」が世界最初と言われている。