●標準的な軍の装備で、ソ連のカラシニコフをモデルにしたイスラエル製の「ガリル銃」は、世界で1、2位を争うといわれる武器であるが、海外への売り込みはいつも、政治の壁にはさまれた。なにしろアラブ諸国はイスラエルに「のけもの国家」の烙印を押そうと躍起になっていたからである。

それゆえ、イスラエルはやむなく、利益の上がる市場を積極的に探り、南アフリカやイラン、ラテン・アメリカの独裁政権といった評判の芳しくない国々に武器を売ることになった。


●イスラエルの武器輸出は、国家利益にとって死活的な課題である。外貨獲得の源であり、海外に影響を広げる有効な手段というだけでなく、もっと根本的なビジネスの論理がある。イスラエルが他国の好意にのみ依存するのを避けるには、自前の軍需産業を持つ必要がある。そのためには、量産して採算をとらなければならない。イスラエルの軍需産業は、銃、弾丸、戦闘服に始まり、戦車、魚雷艇などのより高度な武器も、自国が使用する以上の数を製造しなければならない。海外の売り上げは、研究開発費に充てられ、軍需産業を維持する経費も海外からの収益で帳尻を合わせるのである。


●となれば、諜報組織が武器販売の促進に携わり、この重大な利益の擁護に関与するのは少しも不思議ではない。“非公式の大使”として海外任務にあるモサドの機関員たちや、密かにテロ対策顧問として活動しているシン・ベト機関員たちが、イスラエル製兵器が優秀だという評判を広める。銃などの武器は、抱き合わせ取引に組み込まれる。つまり、イスラエル人からの有益な助言が、実戦で実力を証明済の武器とセットで提供されるのである。


●これは比較的に新しい現象で、1973年戦争の後から始まったものである。それ以前は「シバト」がもっと直接的な形で武器輸出を担当していた。「シバト」は、ヘブライ語の「安全保証支援」の略称で、テルアビブの国防省内の小さな部署だった。交渉は慎重に進められ、イスラエルとの通称関係を隠したがる国々に売り込む時には、武器の出所は決して明らかにしないと「シバト」は確約した。


●「シバト」が設立されたのは、1960年代半ばのことで、きっかけは当時のイスラエルと南アフリカとの間で初めて行なわれた武器の秘密取引を世界のマスコミが暴露し、イスラエルが世間からごうごうたる非難を浴びてしまったことによる。

ホロコーストを生き延びた人々の避難所として世界的な支持を集めるユダヤ人国家が、南アフリカの悪名高き人種差別政権と関わっていたのを知られ、イスラエルは大いに当惑した。そこで国防省は、新たに海外販売を担当する機関「シバト」を設けたのである。その目的は、将来、同様の取引がないように防止するのではなく、それらを隠蔽することだった。


●「シバト」の下で、南アフリカとの秘密の軍事提携は進んだ。イスラエルの軍事顧問は、南アフリカ国防軍に対し、アフリカ民族会議(ANC)や南西アフリカ人民機構(SWAPO)のゲリラとの戦い方について、自分らがパレスチナ人テロと戦う手法に沿って指導した。イスラエルは南アフリカに、銃や大型の武器システムを売却したが、さらに好意的にイスラエル製武器を南アフリカ国内で製造するライセンスも与えた。

ちなみに、「シバト」は純然たる諜報活動には従事しておらず、シバト長官は、イスラエルの諜報機関長官たちの「ヴァラシュ委員会」にも出席していなかった。通常は退役した軍の上級将校が長官を務め、その勧告はイスラエルの諜報組織が進める“陰の外交”に大きな影響力をもっていた。


●「シバト」は時折、仲買人を使った。売買にイスラエルが関与しているのを隠蔽するためだった。一般的に、政府間の武器取引はお互いの国家機関によって巧みに監督されており、機密を要した。例えば、イスラエル空軍がイスラム教国であるインドネシアに旧型のスカイホーク機を売却した際は、当然、アメリカの了解を得て行なわれたが、インドネシアはユダヤ国家のイスラエルと表向きには敵対関係にあったから、絶対に秘密を守るよう要求したのだった。


●第4次中東戦争以前には、イスラエルの武器輸出は年商約5000万ドルだった。その後、イスラエルの軍需産業は国産兵器の増産に努め、武器輸出は第二段階へと拡大した。この頃にはイスラエル人の仲買人たちが主役を演じるようになり、各国に強く働きかけ、「シバト」の下で急成長するイスラエル軍産複合体と契約を結ばせた。15年のうちに、イスラエルの武器輸出は飛躍的に伸びた。年商1億ドルを超えた。


●1970年代から80年代にかけて、イスラエルには大きな変化が起きていた。イスラエルには、他国に買う気にならせた上で自国政府に売却を説得する力を持つ、新しい階層がうまれていた。モサドやシン・ベトの退役者や、退役上級将校たちだった。これら諜報機関や軍部の退役者は「OB会」とでも呼べそうなネットワークを作り、世界中のどの貴族階級にも劣らず自己中心的で、独自の構成員を擁護していた。


●当時、イラクと交戦状態にあったイランや、中南米の軍事政権などは、必要なものを何でもイスラエルが提供してくれると聞き、信じ込んでしまった。イスラエルは南アフリカ政府に兵器体系をそっくり売却し、現地の会社にイスラエルが設計した戦闘機「クフィル」を「チータ」という別名で製造することを認可した。魚雷艇「レシェフ」や「ガブリエル」も、新しい名をつけてライセンスが与えられた。

更にイスラエルは中南米の独裁政権の秘密警察にコンピュータを売り付けて、大いに金をもうけた。「シバト」機関から輸出許可を得た“海賊業者”たちは、シン・ベトがテロ対策のために開発した最新の情報分類システムやゲリラの身元を確認するソフト、電子盗聴装置までも売り込んでいたのだ。

中南米の独裁政権の中でも、特にグアテマラ、エルサルバドル、そしてサンディニスタ政権以前のニカラグアの3国は、アメリカが人権侵害に対する制裁として軍事援助を削減すると、懸命にイスラエルからの武器輸入に頼ろうとした。


●アメリカとイスラエルのマスコミは、アメリカが密かにイスラエル製品のために金を払い、議会が設けた枠を超えて中南米の反共勢力を支援しているようだと、盛んに書き立てた。反サンディニスタを掲げるニカラグアのコントラ・ゲリラのリーダーたちの何人かは、イスラエルから武器を受け取った事実を認めた。イスラエルがPLOから奪った武器も含まれていたという。

更にイスラエル諜報機関のOBたちがグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルで軍隊や秘密警察隊を訓練している事実も明るみに出た。また、コロンビアで特殊契約を結んで大もうけしていることが暴露され、イスラエルを大いに困惑させた。


●スキャンダルの主役はヤイル・クレイン中佐だった。彼はイスラエルで対テロ空挺部隊の指揮官を務めた予備役将校で、退役後に民間の安全保障会社「スペアヘッド」を開業した。ところが1989年9月、「メデジン」と呼ばれる麻薬王たちが組織したコロンビア人の暗殺部隊を、クレインらイスラエル人が訓練させているフィルムが世界中のテレビに放映されてしまったのである。

この時クレインは44歳。逮捕令状が出る前にコロンビアから逃げ出し、その後イスラエルで起訴されそうになると、自分たちの活動はイスラエル政府の許可を受けていたと主張した。それに対してイスラエル当局は、「スペアヘッド」社は国防省の「シバト」当局から確かに輸出許可を得ていたが、それは外国政府との取引契約をする認可であり、犯罪者たちと私兵集団との取引など認めていないと反論した。


●このようにイスラエル人は、ヨーロッパであれ、アフリカ、アジア、ラテンアメリカであれ、世界の至る所でいかがわし秘密取引をやっていたのである。

そして、カリブ海の島々からヨーロッパの首都に至るまで、法廷で裁かれるイスラエル武器商人、麻薬密売人、誘拐犯人たちによって実態が明らかにされると、 イスラエル諜報組織の名誉は汚されたのであった。