●「ユダヤ人票がアメリカ大統領選挙の結果を左右する」──在米ユダヤ人社会の絶大な政治力を象徴する例として、しばしば語られることの一つである。

確かに、これを裏付けるような実例を、過去のアメリカ大統領選挙の歴史に幾つか見ることができる。


●その典型的な一例が、1948年の大統領選挙である。

その前年、国連で決議される予定のパレスチナ分割案(パレスチナを分割して、ユダヤ国家とパレスチナ人国家を創るという案)に対し、当時のトルーマ ン大統領は、アラブ諸国、とりわけアメリカが石油利権を持つサウジアラビアとの関係を重視し、パレスチナでのユダヤ国家建設に反対する意向を表明してい た。これに対し、在米ユダヤ人社会は強く反発し、「1948年の大統領選挙では、トルーマンはユダヤ人票を失うだろう」と警告した。

大きな票田を持つ都市に集中するユダヤ人の票は、当時、戦局不利が伝えられていたトルーマンにとって勝敗を左右する重要な要素だった。このままでは共和党候補に敗北する、という危機感を抱いたトルーマンは、前言を翻し、国連決議案の支持に回った。

これによって、翌年の大統領選挙では75%のユダヤ票を獲得し、きわどい差で勝利した。(ちなみに、トルーマンは父方がユダヤ系である)。

 


ユダヤ票欲しさに、パレスチナ分割案を
支持することにしたトルーマン大統領

 

●1976年の大統領選挙では、任期中に「アラブ人に対する強硬姿勢を改めなければ、経済援助を削減する」とイスラエルに警告したフォード大統領 は、ユダヤ人の支持を失い、対立候補のカーター大統領が68%のユダヤ人票を獲得した。これはカーター勝利の一要因といわれている。

そのカーター大統領も、イスラエルとエジプトとの和平交渉の成功で一時ユダヤ人に高い評価を得たが、その後、イスラエル・アラブ紛争の総合的な解決 のためにソ連との交渉に乗り出そうとしたこと、またイスラエルの入植地政策を非難する国連決議に賛成票を投じたことなどによって、ユダヤ人の反発を買っ た。再選を目指す1980年の選挙では、ユダヤ人票の40%がレーガン氏に流れたといわれる。


●1988年の大統領選挙でも、ユダヤ人票獲得のために、ブッシュ、デュカキス両候補は、PLOがイスラエルを承認し「テロ」を放棄しない限り交渉しない こと、またパレスチナ国家は認めないことなどを明言し、親イスラエルの姿勢を在米ユダヤ人社会に訴え続けた。また、『ニューヨーク・タイムズ』紙や『ロサ ンゼルス・タイムズ』紙など有力紙や、ユダヤ系の新聞紙上にユダヤ人向けの全面広告を掲載し、激しい“ユダヤ人票獲得合戦”を繰り広げた。

例えば、『ニューヨーク・タイムズ』紙上でデュカキス陣営は、1981年に、イスラエルが猛反対したサウジアラビアヘのAWACS(空中警戒管制 機)売却をブッシュ候補が支持したこと、1981年のイスラエル空軍によるイラクの原子炉爆撃に対しアメリカ政府の制裁を主張したことなどを取り上げ、 ブッシュがいかにイスラエルの利害に反する候補であるかを強調した。

これに対しブッシュ陣営は、パレスチナ人の自決権を主張するジェシー・ジャクソンが民主党内で大きな影響力を持ち、イスラエルにとって危険であると 強調することによって、ユダヤ人の民主党離れを促す、といった具合である。それはまさに、相手候補よりいかに熱心な“親イスラエル”であるかを競いあう “ユダヤ人の歓心買い競争”である。


●一方、「反ユダヤ主義」「反イスラエル」と攻撃されかねない自派の言動に関しては両陣営とも敏速に対処して、「被害」を最小限に食い止めるために全力を注いだ。

選挙まで2ヶ月と迫った1988年9月初旬、ブッシュ陣営は在米ユダヤ人社会から「反ユダヤ主義者」と烙印を押された選挙運動組織の幹部ら8人を即 座に解雇した。その幹部らが1971年のニクソン政権時代に労働統計局で働くユダヤ人のリスト作りをしたことが『ワシントン・ポスト』紙に報道されたた め、ユダヤ人票への影響を恐れて、ただちに処分したのである。

一方、民主党側では、7月の党大会でジャクソンの支持者によって綱領案として提案されたパレスチナ人の自決権を求める案は、デュカキス陣営の強い反 対によって、投票にはかけられなかった。これを強行すれば、ユダヤ人の影響力の強い民主党の選挙運動は分解しかねなかったからだ。