●「アヘン戦争」は調べれば調べるほど、むごい戦争(汚い麻薬戦争)だったことが分かる。


1971年に「第25回毎日出版文化賞」を受賞した陳 舜臣氏の著書『実録アヘン戦争』(中央公論新社)には、次のような言葉が書かれてある。

『アヘン戦争』は、単にイギリスによるアヘン貿易強行のための中国侵略戦争以上の意味を持っている。この“西からの衝撃”によって、我々の住む東アジアの近代史の幕が切って落とされたのである。」

 

 

 

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『実録アヘン戦争』
陳 舜臣著(中央公論新社)

 


●この「アヘン戦争」は、イギリスの「サッスーン家(財閥)」を抜きにして語ることはできない。

「サッスーン」という財閥名(ファミリー)を初めて聞く人は多いと思うが、

以下、詳しく紹介していきたい。

 

 

 

 

 

 


「サッスーン家」は、もともとは18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤ人の富豪家族で、トルコ治世下にあって財務大臣を務めるほどの政商であった。


1792年にこの一族の子供として生まれたデビッド・サッスーンは、バグダッド(現在のイラク)で活動していたが、シルクロードの交易によってますますその富を蓄え、そこからインドへ進出(移住)した。

 

 

 

 

 

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中東出身のユダヤ人
デビッド・サッスーン
(1792~1864年)

インドのボンベイで「サッスーン商会」を設立し、
アヘン密売で莫大な富を築く。
「アヘン王」と呼ばれた。

 


デビッド・サッスーンは、1832年にインドのボンベイで「サッスーン商会」を設立し、アヘンを密売し始めた。イギリスの「東インド会社」からアヘンの専売権をとった「サッスーン商会」は、中国で売り払い、とてつもない利益を上げ、中国の銀を運び出した。

 

 

 

 

 

 

(※
デビッド・サッスーンは「アヘン王」と呼ばれた。彼はイギリス紅茶の総元締めでもあり、麻薬と紅茶は、サッスーンの手の中で同時に動かされていたのである)。

 

 

 

 

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ケシ(芥子)の花。アヘンはケシの実に傷をつけ、そこからにじみ
出てきた乳液から作られる薬である。昔から麻酔薬として使われてきた。

 

 

 


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中国では清の時代に、アヘンを薬としてではなく、
タバコのようにキセルを使って吸うことが流行した。
アヘンは、吸い続けると中毒になり、やがて廃人
になってしまうという恐ろしい薬(麻薬)である。

 

 


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1773~1842年の「三角貿易」体制

イギリスは、アジアとの貿易を行なうため、1600年に
「東インド会社」を作った。アヘンを大量に送り込まれた
清国では、アヘンが大流行して社会問題となった。

 

 


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(左)インドのアヘン倉庫内の様子 (右)茶やアヘンを運んだ「東インド会社」の船

 


●やがて、清国がアヘン輸入禁止令を出したことに端を発した「アヘン戦争」(1840年)が勃発。

敗れた清国は、南京条約により上海など5港の開港と香港の割譲、さらに賠償金2億1000万両を支払わされ、イギリスをはじめ列国の中国侵略の足がかりをつくることになる。

その意味では、「サッスーン財閥」はヨーロッパ列国に、第一級の功績を立てさせたアヘン密売人だった。

 

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(左)清国と戦っているイギリスの商船。その頃の商船は大砲を持っていた。
(右)アヘン戦争で、清国が敗北すると、ヨーロッパの国々は競ってアジアに進出した。
清国はイギリス以外の外国の国々とも不平等な条約を結ぶことになってしまった。
肝心のアヘンについては条約では一切触れられることなく、
依然としてアヘンの流入は続いた。

 

 


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学習漫画 『中国の歴史
〈9〉-アヘン戦争とゆれる中国』(集英社)は、子ども向けの本だが、
アヘン戦争の実態を手っ取り早く知る上で、最適な本である。
アヘン商人たちの腹黒い姿がしっかり描かれている。