●1967年の第三次中東戦争(6日戦争)で、アラブ正規軍はイスラエルの電撃的な攻撃に完敗し、東エルサレムなどを含むヨルダン側西岸地区やガザ地区を占領された。

更に、イスラエル治安局「シン・ベト」による治安体制強化もあって、占領地の住民を蜂起させるのに失敗したパレスチナ武闘組織は、この屈辱を晴らすため活動の場を海外に転じた。

 

 
1967年6月の第三次中東戦争(6日戦争)でイスラエル軍は圧倒的な強さを見せた。
(右)はヨルダン側に「奇襲」をかけるイスラエル軍。

この「奇襲」攻撃により、アラブ諸国は航空機300機以上、
空港、レーダーサイトなどを失い、アラブ諸国の航空戦力は壊滅した。
エジプト、シリア、ヨルダンの三国はイスラエル軍の戦死者730人の20倍を
越える15,000人の人的被害を出し、戦車や装甲車などの大量の兵器が
奪取された。 この戦争によってイスラエルは、ガザ地区、シナイ半島、
ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原を占領した。(イスラエルの
国土は4倍以上に膨れ上がった)。

 

●イスラエル諜報機関は1968年に、友好的な欧州諸国の諜報組織から、パレスチナ人グループが欧州の過激左翼集団から有志を募っているとの断片情報を何度か受けとっていた。

有志集めのほとんどは、PLOのマルクス・レーニン主義派「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」のジョージ・ハバシュ議長がやっていた。

アラファトやハバシュらの過激な活動家たちは、イタリア・オランダ・フランス・旧西ドイツを飛び回り、イデオロギー的連帯意識に訴えたり、財政的な支援で欧州青年たちの気をひき、中東に来て「イスラエル占領統治やその帝国主義の同盟者」と戦うよう説得した。PLOの呼びかけに共鳴した数十人もの有志たちがヨルダンやレバノンに送り込まれ、ゲリラ・キャンプで訓練を受けた。そしてイスラエルに対するテロ闘争にも何度か加わった。

 

 
(左)「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」の
ジョージ・ハバシュ議長 (右)「
PFLP」の旗

 

●中東域外で暗躍するパレスチナ人らが何をたくらんでいるのかとイスラエル諜報機関が探っている間に、ハバシュ率いるPFLP過激派は、イスラエルの国営航空機を標的に行動を起こし、「戦場で100人のユダヤ人を殺すよりも、効果的…」な戦略を見せつけ、世界を驚かせた。

1968年7月23日、ボーイング707型エルアル機がローマからイスラエル西海岸のテルアビブに向かう途中、ハイジャックされ、北アフリカのアルジェリアに着陸したのである。

 
●この当時まだ「ハイジャック」という言葉は世界には定着していなかった。

ハイジャック犯は3人のパレスチナ人だった。イスラエル諜報機関は最初は成す術もなく、事の推移を見守るしかなかった。乗員と搭乗員らはアルジェリアで3週間も人質にされた。イスラエル政府が要求に応じて12人の負傷ゲリラを釈放することで、やっと人質たちが解放され、このハイジャック事件はケリがついた。

 
●それまでのどんな闘争よりも、世界にパレスチナ人の存在をアピールすることに成功したPFLP。

これに味をしめた彼らは、この年だけで外国航空機を13機乗っ取った。年末ぎりぎりの12月26日には、PFLPのゲリラ2人が、アテネ空港に寄港中のイスラエル航空機に手榴弾を投げたうえ銃撃し、イスラエル人乗客1人を殺害、スチュワーデス2人を負傷させた。