●そもそも「イラン・イラク戦争」当時、双方の軍拡政策に手を貸して、イラクを世界第4位の軍事国家に仕立て上げたのは、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、ソ連などなどの、湾岸戦争の中核を成した多国籍軍であった。

そして国連(United Nations/連合国)そのものであった。


●“ホメイニ革命”の中東への波及阻止という大義名分を掲げながら、これらの国々は膨大な兵器をイラク・イラン双方にタレ流して荒稼ぎしていたわけだ(アメリカは宿敵イランにも兵器を売っていたのだ/イランゲート事件)。

この狂気のビジネスマン(死の商人)たちが火に油を注いだおかげで、「イラン・イラク戦争(イライラ戦争)」は長期化したわけだが、イラン・イラク双方の死傷者は、合計100万人を下らないという。

ちなみに、この“イラ・イラ戦争”が続いていた1985年に、クウェートの貨物船はイラクのフセイン向けに武器を輸送していた。


●湾岸戦争直前のフセインに資金を送り続けていたのはイタリアの「国立労働銀行」であり、化学兵器を造らせてきたのはドイツやソ連であり、原子炉と濃縮ウ ランは堂々とフランスから売却され、恐怖のスーパー・ガンはイギリスから正式に輸出され、地下秘密基地を建設したのはイギリスとベルギーであり、アメリカ は軍事用スーパーコンピュータを与えていた。

この件についての詳細を知りたい方は、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の報告をまとめた『1985―89版年鑑』(東海大学出版会)な どを参考にするといいと思われる。1991年2月5日付の『朝日新聞』が、世界各国のイラクへの武器輸出状況を「兄弟兵器」という題名で特集しているが、 この特集だけでもかなり具体的なデータが得られる。


●また、アメリカは、フセインがクウェートに侵攻する1カ月前まで、フセインに対して農務省を通じて莫大な支援を行なっていたことが1992年2月23日付の『ロサンゼルス・タイムズ』によってスッパ抜かれている。

同紙によると、援助はアメリカ農産品購入に伴う信用供与で、政権内部の「イラクの軍備増強につながる」との反対論にもかかわらず、“イランとの軍事バランス維持のため”などの観点から正当化されたという。

また同紙は、国家安全保障会議の内部議事録を引用し、ブッシュ大統領の側近が90年春ごろまでにイラクが核兵器開発を進めているとの情報をつかんで いたにもかかわらず、「イラクが汎用技術を購入できるようにすべきだ」などと主張。更に「大統領は特にイラクだけを軍事大国として警戒することを望んでい ない」などと述べていたことを暴露している。


●また『ニューヨーク・タイムズ』も、イラクは1983年からアメリカ農務省を通じての援助を受けており、1989年には年間10億ドル強の規模に達し、フセインはそれを武器購入に当てていたが、アメリカ政府がそれを黙認し続けていたことを報じている。



●フランス人ピエール・ジョックスやマルセル・ダッソーという“死の商人”は大量の爆撃機「ミラージュ」をイラクに売り込み、フセインはその見返りにイラ クの石油をフランスの国営石油会社「エルフ・アキテーヌ」などに優先的に販売する取引を行なってきたが、イラクのクウェート侵攻はこのミラージュによって 行なわれ、迎撃したクウェートの戦闘機も同じミラージュであった。ちなみにピエール・ジョックスは、湾岸戦争時に、自らフランス国防大臣の座につき、残忍 な陸上戦の強行を主張し、実行に移していた。

また、ミッテラン仏大統領はブレゲ一族であるから、「ダッソー・ブレゲ社」のミラージュを販売した背景と犯罪はあまりに露骨であった。湾岸戦争直前 のフセインは、フランスに30億ドルという巨額の武器購入のための借金を取り立てられる立場にあり、あやつり人形になっていた。クウェート侵攻直後のフセ インが、フランス人捕虜を特別措置としていち早く解放するという謎の行動に出たのは、こういう背景があったためである。


●また、「スカッド・ミサイル」が一躍有名になったが、実際の主力ミサイルはスカッドではなく、これもフランス製である軍艦攻撃用「エグゾセ・ミサイル」 であった。しかも、このミサイルはミッテランの弟ジャックが総裁を務めた「アエロスパシャル社」の製品であった。ミッテランは国連で中東和平のための提案 を行なっていたが、厚顔無恥ここに極まれりといったところか。



●湾岸戦争の直接のきっかけは、1990年7月17日に、イラクがクウェートとアラブ首長国連邦に対して、石油価格の値上げに同調しないことを非難し、 「直接行動も辞さない」と宣言したことに起因しているが、イラクの不審な動きに不安を感じたクウェートが、アメリカ政府にそのことを打診したところ、返っ てきた返事が「イラクの動静に心配はない」という内容であったという。

しかし、状況を重く見た特権階級のクウェート人は、1990年7月23日に、イラクが二個師団をクウェート国境に差し向けた時、既に財産ともども国外へ脱出していたのであった。

また、中東全体に情報網を張り巡らしているイスラエル共和国の国防相モシュ・アレンスは、アメリカのチェイニー国防長官に対して、イラクによるクウェート侵攻を警告していたが、チェイニーはこれを無視していた。


●しかも、軍事偵察衛星から送られてくる写真から、米ソはイラクがクウェートに攻め込む何日も前から、フセインの軍隊の大規模な移動と、クウェート国境への集結を確実に把握していたことが、関係者の証言で明らかになっている。

中でも、1990年7月20日に打ち上げられたソ連製スパイ衛星「コスモス2086」が、突然軌道を変え、侵攻直前のクウェート上空を集中的に飛行していたことが、徳島市の「民間・人工衛星追跡組織(LAT)」の調査によって明らかにされている。

この件については、1990年10月23日付の『朝日新聞』によっても報じられていたが、軍事評論家らによると、レーダーや望遠鏡で他国の衛星の位 置を確認しているアメリカなどが、このソ連衛星の動きを察知していたのは確実で、“奇襲”とされるイラク軍の侵攻を軍事大国が事前に知っていた可能性が強 いとしている。



●イラクの不穏な動きは上空に根を張っているスパイ衛星群や、周辺国でもキャッチされていたわけだが、本来ならこの時点で、アメリカが第七艦隊をペルシア 湾へ向かわせ、イラクへ警告を発していれば、湾岸戦争は回避されていたと言われている。しかし、アメリカは見て見ぬふりをした。明らかにアメリカはイラク に開戦させたかったといえる。

そして、その決定打となったのが当時のイラク駐在のグラスピーというアメリカ女性大使が、フセインの国家再建努力を褒めちぎりながら語った「アメリ カはイラクの行動には関心がない」という甘い誘い文句であった。この7月25日の時点で、既にイラクが10万の兵力、3500両の戦車、1000台の装甲 車をクウェート国境に張り付けていたにもかかわらずである!


●そしてそれに拍車をかけるようにして、ジョン・ケリー国務次官補が記者会見において「クウェートが攻撃されてもアメリカにはクウェートを助ける責任がない」と公言していた。彼は国務省の中東のエキスパートである。彼の発言はひときわ重く響いた。

かくして、1990年8月2日、イラクのサダム・フセインはアメリカの甘い罠にまんまとはまり、安心してクウェートに侵攻したため、湾岸危機が発生したわけだ。



●イラクのクウェート侵攻当日、ベーカー国務長官はソ連のイルクーツクでシェワルナゼ外相と米ソ外相会談をしながら、仲良く魚釣りに興じていた。そしてイ ラク侵攻の報告に、米ソ外相2人は、いかにも驚いたふうに「これは遺憾である」などと共同声明を発し、フセインのクウェート侵攻が予期せぬ唐突な事態で あったことを世界にアピールした。

そしてこの日を境にしてアメリカ政府は、それまで見せ続けていた無関心な態度とは打って変わって、待ってましたとばかりにイラクを強く非難する強硬 姿勢に転じ、各国の支持を得るための活発な外交活動を展開。そして、またたく間に世界28カ国の軍隊を寄せ集めたアメリカ軍主導の“多国籍軍”なる代物を 生み出すことに成功したのである。


●この一連のパターンは、真珠湾攻撃を様々な方面で事前にキャッチしておきながら黙認し、日本に先に手を出させて国際的な“大義名分”を得た、当時のアメ リカ政府のしたたかさを思い起こさせる。(真珠湾攻撃の真相は専門家によって明らかにされつつあるが、だからといって日本の軍事行動が全面的に正当化され ることはないだろう)


●そもそも湾岸戦争直前のイラクは、長期にわたって続けられた対イラン戦争に10兆円以上もの軍事費を投資したことや、石油の世界的ダブつきが原因で、既 に国家財政が破綻していたわけだが、イランとの戦争でバランスが保たれながら肥大化していたイラク軍の後処理問題が残されていたわけだ。好戦的なフセイン が、イランに向けていた矛先を宿敵イスラエルに変えて、新たな軍事行動を展開する危険が大であった。イラクの軍事力を放置することは、そのまま中東全体が 火の海になる危険性を放置することに等しかった。

そのため先進諸国は、窮地に立たされていたフセインが勝手な暴走を開始する前に、自らの手で膨らませてきたイラクの軍事力を、自らの手で始末(ガス抜き)する必要が生じ、そのための手として、クウェートが一時的な犠牲(エサ)にされたと私は見ている。



●イラク軍がクウェートへ侵攻を開始すると、アメリカ、イギリス、フランスなどの旧植民地主義の国々は“人道主義”の名を掲げて、イラクを非難し始めたわけだが、未だに自由を保障しない「封建国家クウェート」の解放を唱えること自体に、西側諸国の“偽善”が存在していた。

ちょっと調べれば分かると思うが、クウェートは民主国家ではなく「サバーハ家」による首長制国家である。しかも醜聞が多く、現地での評判がすこぶる 悪いファミリーである。そのため、石油成金で財テク野郎のジャビル国王が、イラク軍にビビッて、サウジアラビアに脱出したとき、アラブの民衆たちはサダ ム・フセインに喝采を浴びせ、大いに溜飲を下げたという。

それほどまで、クウェート国王はアラブの世界では鼻つまみ者だったのである。


●また、アメリカは湾岸戦争のとき、サウジアラビアにベトナム戦争以来最大の20万の兵力を送り込み、現在に至るまでそのまま居座っているのだが、このサ ウジアラビアという国も民主国家とは程遠い王制国家である。アメリカはイラクを“非民主国家”だと強く非難していたが、クウェートやサウジアラビアのみな らず、オマーン、カタール、バーレーンなどの中東の湾岸王制諸国を“民主主義の敵”として非難することは決してない。なぜならば、アメリカの利益と国王の 利益が一致しているためである。

そのため、クウェートのジャビル国王による実質的な専制政治は湾岸戦争以後も変わらず、貧富の差はますます広がる一方である。



●ところで、あまり話題にされることのない事柄だが、イラク南部に位置する親米国家サウジアラビアには、アメリカによって作られた軍事秘密都市が3カ所あ る。ヨルダン国境に面した「タブーク」、イエメン国境にある「カミス・ムシャイド」、イラクとクウェート国境に接した「アル・バティン」である。

それで、今回の湾岸戦争で注目されているのは「アル・バティン」なのであるが、この軍事秘密都市はサウジ北東部(イラク・クウェート国境)からのイラク軍の突然の侵攻に備えるために、わざわざ緊急かつ隠密裏に、アメリカが1985年に建設したばかりのものである。

フセインがクウェート侵攻1週間前にイラク軍を移動させたイラク南端地域は、この出来たてホヤホヤの軍事秘密都市「アル・バティン」の警戒エリアそ のものであった。アメリカは厳重な報道管制を敷くことによって、この軍事秘密都市の存在そのものを世界の一般大衆の目から隠すことに成功していたわけだ が、この軍事秘密都市の警戒エリア内に堂々と移動して来たイラク軍の動静について、アメリカ軍部は分かりすぎるほど分かっていたといえよう。


●この件について、昭和経済研究所アラブ調査室長で東京国際大学教授の渥美堅持氏は、以下のような見解を示している。

「アメリカは常々、フセインの軍事戦略を危険視していた。アメリカ女性大使とフセインの交渉には不可解な部分が多い。 (中略)アメリカはサウジの アル・バティン軍事都市を使いたがっていたはずだ。基地というものは使わなければ意味がない。そしてサウジ国民各層の動揺ぶりも知りたかった。 (中略) 湾岸戦争はアメリカが自国の権益を守るために仕組んだ戦争といえる。」



●で、結局、湾岸戦争で一番得をしたのは、誰か?

それは「軍産複合体」と呼ばれる軍事兵器企業群である。湾岸戦争前、軍産複合体は“冷戦終結”のせいでレイオフに次ぐレイオフを続けていた。全米で 1位と2位の軍事企業「マクダネル・ダクラス社」と「ゼネラル・ダイナミックス」の両社は、国防総省が「倒産」を口にするほど危機に陥っていたのだ。

それが、湾岸戦争のおかげでそれまでの「軍縮ムード」が一気にブッ飛び、危機に陥っていたはずの軍産複合体は莫大な暴利を手にし、救済され、息を吹き返したのである。


●アメリカにある民間軍事研究機関「ディフェンス・バジェット・プロジェクト」による推計によると、「砂漠の嵐作戦」で中東に展開したミサイル、戦車、ヘ リコプター、戦闘機といった陸・空の主要兵器だけで総額は約2740億ドル(約36兆1680億円)にのぼり、各兵器企業の儲けは以下に記すように、莫大 な金額を計上していたのである。

(当時1ドル=130円)


●ゼネラル・ダイナミックス社は、巡航ミサイル「トマホーク」で1.7億ドル、「F16戦闘爆撃機」で21.1億ドル、「M1戦車」で3.4億ドルの儲けを上げた。

マクダネル・ダクラス社は、「F15E戦闘爆撃機」で47.6億ドル、「F/A18ホーネット」で40.3億ドル、「A-H64アパッチヘリ」で11.1億ドルの儲けを上げた。

グラマン社は「F14戦闘機」で58億ドル、「A6攻撃機」で42.4億ドルの儲けを上げた。

レイセオン社は湾岸戦争で一躍注目を浴びた地対空ミサイル「パトリオット」で1.4億ドルもの儲けを上げた。

ロッキード社は初めて実戦参加させた「F117ステルス爆撃機」だけで、なんと130億ドル(1.7兆円)もの荒稼ぎをしていた!



●兵器産業に負けず、石油メジャーもボロ儲けである。

イラクのクウェート侵攻によって、OPECは分裂状態となり、その結束力は急激に弱体化。必然的に、アメリカおよびメジャーの石油価格に対する統制 力は大幅に回復したのである。そして原油価格の高騰により、1990年末の四半期で、アメリカ大手石油18社の純益は前年の250%という途方もない額に 達し、最終的に、有史以来の大儲けを記録し、テキサスなどの国内石油も採算ベースに乗ったほどであった!


●ところで“テキサス”と言えば、湾岸危機・湾岸戦争を含め、ブッシュ政権の外交政策のほとんどを立てていたベーカー国務長官は、テキサスに大きな影響力 を持つベーカー=ロヴェット=ブラウン兄弟一族の出身で、この一族は世界的なマーチャント・バンカーとして有名であり、また、テキサスの石油成金ブッ シュ・ファミリーと同じ事業に参加してもいた。この石油成金のブッシュは大統領選の時にテキサコの資金援助を受けていたし、彼がテキサスに創立した「サパ タ石油」は、クウェートから採掘してきた石油を扱う会社であった。


●このように、湾岸戦争に踏み切った、ブッシュとベーカーという、したたかなビジネスマン・コンビは、故郷テキサスの一族やアメリカの軍事産業界に莫大な 恩恵をもたらしていたわけだ。いや、軍事企業や石油産業だけでなく、各種コンピュータ産業や、各種部品製造会社、医薬品業界、毒ガス用マスク製造会社から 弾薬会社に至る全ての末端企業まで、大車輪でフル操業しても間に合わなかったといわれるほど、大儲けをしていた。

おまけに、その影響は戦争が終結した後も続き、アメリカ製の兵器は、それ以後世界最大の売れ行き高を示し、現在もアメリカの軍需産業は量産に量産を重ねながら、兵器輸出国のトップ状態を維持したままである。



●更に湾岸戦争後、ビジネスとして最大の焦点となったのは、破壊されたクウェートを復興するのに、一体どれほど金がかかるかということだった。それは実に 約800億ドル、およそ10兆4000億円という試算さえ出されるほど巨大な事業だったが、このクウェート復興事業のほとんどは、世界最大のゼネコン「ベ クテル社」をはじめとするアメリカの企業が受注し、残りをイギリスがさらっていった。

「ベクテル社」は年間売上4兆円を超す世界最大の企業でありながら、株式非公開で資産も公開しない“個人の会社”のため、日本ではあまり知名度は高くない。アメリカ政界に大きなコネを持っている「ベクテル社」の実態については、別の機会に詳しく触れたいと思う。


●現在、「ベクテル社」は湾岸戦争前から、ペルシャ湾岸に1997年の完成を目指して進行中の「アルジュベール工業都市建設」(投資額200億ドル)「リ ヤド国際空港建設」「ダーラン国際空港建設」などの、サウジアラビアにおける巨大プロジェクトを請け負っているのだが、サウジアラビアは昔から、欧米の多 国籍企業が“利権”を争う場として、絶対にアラブ諸国の干渉を許すことのできない“聖域”に指定されていた。特に、サウジアラビアの特定のプロジェクト は、アメリカ企業に限定されており、サウジの肝心な部分はアメリカが押さえている状態にあった。

それを象徴するかのようにアメリカは、フセインがクウェートに侵攻するや否や、世界がびっくりするほどの電撃的な速さで、サウジに大量のアメリカ軍 を派遣し、サウジ国民の困惑をよそにして、現在に至るまで駐留し続けている。現在、サウジ並びにサウジ周辺のペルシア湾に展開しているアメリカ軍は、サウ ジ国民のためというより、サウジにいるアメリカ企業(特にベクテル社)のための信頼厚き「守護神」としての役割を果たしていると言っても過言ではなかろ う。



●以上のように、フセインを一方的に“悪者”扱いした国際世論に押される形で、アメリカ経済全体が活性化されたわけだが、実に湾岸戦争はアメリカにとってメリットだらけであったことが、イヤというほど分かるだろう。

彼らは、中東を破壊し、中東を再建し、中東に莫大な負債をもたらすというパターンを繰り返すことで、自分たちの生活を保証してきたのである。

 


●ところで不思議なことに、湾岸戦争後、アメリカ国防総省は、戦死者数の調査をしなかったことを理由に、イラク兵戦死者の大まかな推定数の公表すら拒否し、機密扱いにしてしまった。

イラク兵の正確な戦死者数を、国防総省がなかなか公表しようとしないために一番困ってしまったのが、アメリカの商務省統計局の「国際人口調査部」だった。なぜならば、1992年度の“世界人口統計”をまとめる上で、戦死者数の推計は不可欠だったためである。


●そこで、ここに勤める人口調査のエキスパートであるベス・ダポンテが、戦争における死傷者の推計方式に関する資料と文献を基に、総計で「15万8000人」が湾岸戦争で死亡したとの報告書をまとめた。

するとその直後に、アメリカ政府はベス・ダポンテの持つ関係書類を全て没収し、職務遂行上の不行き届きを理由に、彼を解雇するという異常な行動に出た。(この事件は1992年3月6日付の『ワシントン・ポスト』で報道されている) 。

理不尽な解雇をされた彼は、これを不服として裁判所に訴えているが、今もってアメリカ国防総省は正確なイラクの死傷者数を公表していないという。



●なぜアメリカ政府はイラク側の被害状況を隠すのか?

それは多国籍軍側の死傷者が150人前後しか出ていないのに、イラク側が10万人以上出ていたとなると、アメリカ側が過剰な攻撃を行なっていたので はないか、との疑惑が公にさらされてしまうことを懸念したためであろう。イラク側の莫大な死傷者数を具体的に公表してしまうことは、いかに自分たちが異常 すぎるほど厳しい報道管制(CNN限定)を敷きながら、その陰で、これでもかこれでもかと言わんばかりに非人道的で圧倒的な軍事力をイラク本土に叩きつけ ていたかを自白するようなものだ。


●今回の湾岸戦争は様々な最新兵器が積極的に導入され、“ピンポイント攻撃”と称するゲームのような映像が世界中に流されていたのが特徴的であったが、その陰で、旧来のような戦略爆撃機「B52」による戦後最大の猛烈な空爆が展開されていたのである。

このB52による空爆は、わずか1カ月で朝鮮戦争の1年半分、ベトナム戦争の半年分の爆弾(約9万トン)を投下し、一発1000万円のミサイルが夜 空を焦がし続けていたのである。当時世界最強と言われた旧ソ連製の最新鋭戦車「T-72」部隊は、なすすべもなく一挙に全滅してしまったほどだ。


●しかも、アメリカの一新聞社がスクープして、テレビ朝日の番組『ザ・スクープ』が報じたところによると、湾岸戦争の際、アメリカ軍が砂漠で塹壕(ざんご う)のイラク兵と民間人数千人を、巨大なシャベルのついた戦車で生き埋めにして“地ならし”していたという。また、最近ではアメリカの最新兵器の一つであ る、「劣化ウラン兵器(DU弾)」によると思われる奇形児の多発が問題になっているという。

また、湾岸戦争中にアメリカは開発途中の「指向性エネルギー兵器」の実戦使用を強行したとの情報が一部流れているが、マルタ会談の取り決めによっ て、湾岸戦争を傍観するしかなかったゴルバチョフをはじめとする旧ソ連の指導部は、自国のスパイ衛星か何かで、アメリカの圧倒的軍事力の前に自分たちのソ 連製兵器が叩きのめされる現場を見せつけられて、さぞかし震え上がったことであろう。(湾岸戦争直後にソ連はあえなく崩壊した)。



●ところで“アメリカの正義”というスローガンの下で編成された多国籍軍のアメリカ派遣軍の構成を見てみると、人口比では12%でしかない黒人が、湾岸派 遣米軍では30%、ヒスパニック系・アジア系・アラブ系などの非白人は全体の40%にも及んでいた。それに、黒人や他の非白人兵士のほとんどは、空軍や海 軍ではなく陸軍兵士であり、実際に敵軍と戦火を交じえる最前線に送られていた。

よって、たとえ戦死者が多数出ようとも、その多くは貧民層の有色人種であり、結局、戦わされたのは有色人種と貧しい若者たちであった。ベトナム戦争 の時も、黒人や南部の貧しい若者たちが多く死に、戦死者の数だけで5万8000人に上っていた。口の悪い連中の中には、ベトナム戦争を“失業対策”だった と言う者までいるという。


●で、イラクに占領されていたクウェートは24時間で奪還されたわけだが、本当にフセインをクウェートから撤退させるのが目的だったなら、彼が威厳とメン ツを保てる交渉による妥協点はあったと、外交や軍事の専門家たちは分析している。しかし、アメリカのとった態度は、最初から“交渉の余地はない”という非 人間的なものだった。


●それにしても、アメリカはフセインがクウェートにちょっと手を出しただけで、戦後最大の猛烈な空爆をかけ、イラク国家殲滅ギリギリのところまで破壊し尽 くすという派手な“武力制裁”に出たわけだが、国連決議に違反して不法占拠をずーっと続けたり、レバノンでパレスチナ人を無差別殺戮したことのあるイスラ エル共和国に対しては、どうして“経済制裁”すら行なおうとしないのだろう? やっぱりデメリットが大きいからか?(アメリカ国内の親イスラエル団体が恐 い?) アメリカの“正義”って……。



●ところで、1991年9月10日に来日したアメリカの元司法長官ラムゼー・クラークは、渋谷で開かれた「湾岸戦争を告発する東京公聴会」で講演し、アメリカのイラクに対する戦争行為を厳しく非難していた。

彼は湾岸戦争におけるアメリカの軍事行動を「平和や人道に対する犯罪だ」と告発し、アメリカの攻撃で数多くの非戦闘市民が犠牲になったことを以下の見解とともに強調していた。

「注意深く巧妙に市民が攻撃目標にされ、アメリカ軍による殺戮だけが一方的に行なわれた。 (中略)11万回の空爆で8万8千トンの爆弾が落とされた。民間人だけで11万5000人から25万人が直接的、間接的なアメリカ軍の攻撃で死んだ……」



●さて、話題を日本に移すが、日本が湾岸戦争の時に支払った90億ドル(1兆2000億円)という大金はどこへ行ってしまったのであろう? 支援金のほとんど全てが軍産複合体のフトコロに流れ込んでしまったと言われているが……。


●しかも、日本の援助金はアメリカの同盟国最大の額であったにもかかわらず、クウェートが戦後に発表した「感謝する国々」という紙面において、ずらりと並 べた「戦勝国の万国旗」の中から、日本の国旗だけが故意に除かれていた。他の国は参加したが、日本は参加しなかったという痛烈な皮肉だった。

この時から強く言われ始めたのが「国際貢献」という言葉であるが、日本は莫大な出費をあの恐るべき殺人ショーのために供出させられた上、国際ジャーナリズムの世界で侮辱されたのである。


●湾岸戦争は短期間で終了して、再び軍縮ムードがくるかと思いきや、今度はガリを中心にした地球規模の軍需産業の失業対策事業が始まった。

湾岸戦争によって国連は世界の表舞台に立ったわけだが、湾岸戦争が終結すると同時に、PKF・PKO軍団を強化した壮大な軍事計画を発動し、史上例 を見ない規模に膨れ上がった。1991年に和平最終合意文書に調印したばかりのカンボジアに、2万人を超えるPKO軍が派遣され、ユーゴにも1万4000 人が派遣された。これはかつて戦乱が続くアフリカのコンゴ紛争に派遣された史上最大軍を上回る数であった。一体、誰がこの大軍の経費を負担するのか?

好戦的なガリがPKOを乱発したおかげで、国連の金庫は1992年の4月末には、早くも20億ドルの赤字を報告し、アメリカとロシアの支払い能力が急落したという理由から、日本とドイツが全世界の軍人を養う方向に圧力が強まっている。



●こんな情勢の中で日本が国連の「常任理事国」になったら、それこそ軍需産業にとっては思うつぼだ。アメリカが戦争の度に“戦争資金”を堂々と日本に請求し始めてくることぐらい目に見えて分かる。

「国連の平和維持活動に貢献しろ」という国際世論をバックに、日本とドイツから吸い上げられた大金が、国連軍の装備という形で、全世界の軍事企業群 にどっと流れていくという構図ができ上がりつつあると言われているが、安易な気持ちで自衛隊を海外へ派遣し、しかも武器の携帯を認めていくような日本政府 には、独自の世界戦略といったものが無いのであろうか? 今回のアメリカの武力行使に、橋本首相が早々と支持する意向を示しているのを見ると、日本の将来 は寒い……。

このまま日本人はどこぞと知れぬ軍事兵器企業群のために、せっせと働く奴隷と化すのか? それとも、自衛隊そのものが国連軍に組み込まれ、本格的に日本人が前線に立たされるという暗黒時代が再来するのか?


●くれぐれもサダム・フセインのような、裏取引によって自国民を苦境に陥れるような“売国奴”には気をつけなくてはいけないようだ。(かつて、アラブ人に なりすましてシリア上層部を動かしていた“モサドのエージェント”エリー・コーエンが、素性が暴露された時点でダマスカスで公開処刑されるという衝撃的な 事件があったよなぁ……)。



●いずれにせよ、アメリカはいかなる国といえども、アメリカの中東での石油権益を邪魔立てする者に対しては、手段を問わずに排斥してきたわけだが、特に冷 戦終結後、ソ連という強敵がいなくなり、アメリカの一極支配の下に世界の“新秩序”を形成することが可能となった今、急速に台頭して来た“国連中心主義” とオーバーラップする形で、自分たちにとって都合のいい世界戦略を展開し始めたわけだ。


●結局、湾岸戦争でアメリカが実証したのは、決して国連を通じての平和外交ではなく、「力の論理」の復活とアメリカ主導による国連運営だったといえるわけ だが、世界中に跳梁跋扈している「軍産複合体」という“血に飢えた化け物”の内部事情を見る限り、今後、中東情勢はますます混迷の度を深め、一進一退を繰 り返しながらジリジリとイランを筆頭にしたイスラム連合がまとまっていき、これに呼応する形で国連の機能も強化されていく方向に行くものと思われる。

軍産複合体とそれに深く関わっている政治家連中が強い権力を握っている限り、どうも「戦争」という彼らの需要は無くなることがないようだ……。