●長い間、謎とされてきた「ハザール王国」──。

しかし、学術的な分野での研究は着実に進んでおり、様々な実態が明らかにされ続けている。今後、ますます「ハザール王国」を研究する学者や研究機関は増え、「ハザール王国」の実態は更に解明されていくだろう。一般人の間でも「ハザール王国」の知名度は急速に高まっていくだろう。

こうした傾向は歓迎すべきことだが、ある問題に関して懸念していることがある。

それについて、簡単にまとめてみたい。

 



「ハザール王国」は7世紀にハザール人によって
カスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。
9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ない
ユダヤ人以外のユダヤ教国家となった。

 

●祖国を失ったハザール人は、“ユダヤ人”として生きることになった。もちろん、中にはオリジナル・ユダヤ人と混血した人もいるだろう。ハザール王国時代、地中海やオリエント出自のユダヤ人(オリジナル・ユダヤ人)が流入していたことは否定できない。しかし、それはごくごく少数の集団であった。ハザール王ヨセフ自身が明らかにしたように、彼らは自分たちがセム系ではなく、非セム系(ヤペテ系)の「ゴメルの息子」にルーツを持っていることを自覚していた。

現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上がアシュケナジームだが、彼らの大部分は、『旧約聖書』に登場する本来のユダヤ人とは全く関係のない異民族といえる。


●しかし、個人的に、彼らを単純に「ニセユダヤ人」と表現することには抵抗がある。

なぜなら、彼らは長期にわたって“ユダヤ人”として生き、オリジナル・ユダヤ人と同じ「キリスト殺し」の汚名を背負い、悲惨な迫害を受け続けて来たわけであり、同情に値するからだ。その思いは、ユダヤ問題と絡めてロシア・東欧の歴史を再検証してから、ますます強まった。彼らがロシアで体験してきた悲惨な歴史を知れば知るほど、本当に悲しい気分になる……。



●ところで、一般に「ユダヤ人」という「人種」は存在しないとされている。ユダヤ教を信仰していれば、誰でも“ユダヤ人”であるという。つまり、ユダヤ人とは宗教的な集団=「ユダヤ教徒」を意味するというわけだ。だから、ルーツが別民族であっても、ユダヤ教を信仰していれば、立派な“ユダヤ人”として認められるという。実際に、ユダヤ人は実に様々な人間で構成されていて、イスラエル国内には黒人系(エチオピア系)のユダヤ人すら存在している。

 

 
(左)1996年1月29日 『朝日新聞』 (右)1996年1月30日 『読売新聞』

1996年1月末、エチオピア系ユダヤ人はエイズ・ウイルス感染の危険性が高いとして、
「イスラエル血液銀行」が同ユダヤ人の献血した血液だけを秘密裏に全面破棄していたことが発覚した。
更にイスラエル保健相が、「彼らのエイズ感染率は平均の50倍」と破棄措置を正当化した。

これに対して、エチオピア系ユダヤ人たちは、「エイズ感染の危険性は他の献血にも存在する。
我々のみ全面破棄とは人種差別ではないか!」と猛反発。怒り狂ったエチオピア系ユダヤ人
数千人は、定期閣議が行なわれていた首相府にデモをかけ、警官隊と激しく衝突した。

イスラエル国内は騒然とした。あるユダヤ人たちは言った。「この騒ぎは
かつてのアラブ人たちによるインティファーダ(蜂起)に
匹敵するほどのものであった」と。

 

●このエチオピア系ユダヤ人の事件について、『読売新聞』は、「ユダヤ内部差別露呈」として次のように書いた。

「今回の事件は、歴史的、世界的に差別を受けてきたユダヤ人の国家イスラエルに内部差別が存在することを改めて浮き彫りにした。イスラエルヘの移民は1970年代に始まり、エチオピアに飢饉が起きた1984年から翌年にかけて、イスラエルが『モーセ作戦』と呼ばれる極秘空輸を実施。1991年の第二次空輸作戦と合わせ、計約6万人が移民した。

だが、他のイスラエル人は通常、エチオピア系ユダヤ人を呼ぶのに差別的な用語『ファラシャ(外国人)』を使用。エチオピア系ユダヤ人の宗教指導者ケシムは、国家主任ラビ庁から宗教的権威を認められず、子供たちは『再ユダヤ人化教育』のため宗教学校に通うことが義務づけられている。住居も粗末なトレーラーハウスに住むことが多くオフィス勤めなどホワイトカラーは少数に過ぎない。同ユダヤ人はイスラエル社会の最下層を構成している。」

「ヘブライ大学のシャルバ・ワイル教授は『とりわけ若者にとって、よい職業や住居を得ること以上に、イスラエル社会に受け入れられることが重要だ』と、怒りが爆発した動機を分析する。デモ参加者は『イスラエルは白人国家か』『アパルトヘイトをやめよ』と叫んだ。『エチオピア系ユダヤ人組織連合』のシュロモ・モラ氏は『血はシンボル。真の問題は白人・黒人の問題だ』と述べ、同系ユダヤ人の置かれている状況は『黒人差別』によるとの見方を示した。」


●『毎日新聞』は次のように書いた。

「ユダヤ人は東欧系のアシュケナジーム、スペイン系のスファラディム、北アフリカ・中東のユダヤ社会出身のオリエント・東方系に大別され、全世界のユダヤ人人口ではアシュケナジームが過半数を占めている。イスラエルではスファラディム、オリエント・東方系が多いが、少数派のアシュケナジームが政治の中枢を握っている。」

「エチオピア系ユダヤ人は、イスラエル軍内部でエチオピア系兵士の自殺や不審な死亡が多いと指摘するなど、イスラエル社会での差別に苦情を呈してきた。たまっていた不満に献血事件が火をつけた格好だ。」

 

 
イスラエル航空の旅客機で救出された
エチオピア系ユダヤ人たち(1984年)

 聖書ではソロモン王とシバの女王の関係が記されているが、
シバの女王から生まれた子孫とされるのが「エチオピア系ユダヤ人」
である。彼らは自らを「ベド・イスラエル(イスラエルの家)」と呼び、
『旧約聖書』を信奉するが、『タルムード』はない。1973年に
スファラディ系のチーフ・ラビが彼らを「ユダヤ人」と認定した。

その後、エチオピアを大飢饉が襲い、絶滅の危機に瀕した
ため、イスラエル政府は救出作戦を実施した。1984年の
「モーセ作戦」と、1991年の「ソロモン作戦」である。

イスラエルの航空会社と空軍の協力により
彼らの多くは救出され、現在イスラエル
には約6万人が移住している。


『エチオピアのユダヤ人』
アシェル・ナイム著(明石書店)

 

●このように「ユダヤ人」の定義は非常にあいまいな状態なのであるが、正直なところ、「ユダヤ人」の定義はユダヤ人同士の間で勝手に決めてくれればいいと思う。他人がとやかく口をはさむことではないだろう。

宗教的な集まりであるならば、それなりに静かにユダヤ教を信仰して、平穏に暮らしてくれればいい。誰だって、余計な問題に首をつっこんで言い争いはしたくはない。ハザール系だろうがエチオピア系だろうが、「ユダヤ人」として生活したいのならば、それでいい。世界の平和を愛して、平穏に宗教的生活を送ってくれれば、それでいい。

しかし、現実はそんな単純ではない。いつもニュースを騒がしている問題がある。いうまでもなく「パレスチナ問題」のことである。

 

 

●パレスチナ問題は極めて深刻な状態である。

主にアシュケナジームのシオニストが中心的に動いて、パレチスナに強引にユダヤ国家を作ってしまったのだが、その時の彼らの主張が非常にまずかった。彼らは、自分たちは「血統的」に『旧約聖書』によってたつ敬虔な 「選民」であると主張してしまったのだ。単なるユダヤ教を信仰する「ユダヤ教徒」ではなく、『旧約聖書』のユダヤ人と全く同一のユダヤ人としてふるまい、パレスチナに「祖国」を作る権利があると強く主張してしまったのだ。この主張は今でも続いている。

彼らのイスラエル建国によって、大量のパレスチナ人が追い出され、難民化し、殺されている。これは今でも続いている。全く悲しいことである。


●本来なら、ユダヤ国家の建設地はパレスチナ以外でもよかった。ユダヤ教を信仰する者同士が、周囲と争いを起こすことなく仲良く集まれる場所でよかったのだ。

事実、初期のシオニズム運動は「民なき土地に、土地なき民を」をスローガンにしていたのだ。シオニズム運動の父であるテオドール・ヘルツルは、パレスチナにユダヤ国家を建設することに難色を示し、その代わりにアフリカのウガンダ、あるいはマダガスカル島にユダヤ国家をつくろうと提案していたのである。

多くの先住民が住むパレスチナにユダヤ国家を作ったら、大きな問題が起きることぐらい誰でも予測のつくことであった。

 

 
入植候補地の東アフリカ(=ウガンダ案)。ヘルツルはパレスチナにかわる
代替入植地として「ケニヤ高地」を勧めるイギリスの提案を受け入れていた。

 

●しかし、東欧のシオニストたちは、自分たちのアイデンティティの拠り所として、ユダヤ国家建設の候補地は“約束の地”であるパレスチナでしかあり得ないと主張し、ヘルツルの提案に大反対した。更に東アフリカの「ウガンダ」が候補地として浮上し始めると、東欧のシオニストたちは猛反発し、「世界シオニスト機構」を脱退するとまで言い出した。

ユダヤ教に全く関心を持っていなかったヘルツルにとって、入植地がどこになろうと問題ではなかった。しかし、ナショナリズムに燃えていた東欧のシオニストのほとんどにとって、入植運動は、聖書の“選ばれた民”の膨張運動であって、アフリカなどは全く問題になり得なかったのである。そのため、「ウガンダ計画」に激怒したロシアのシオニストの一派が、ヘルツルの副官にあたるマクス・ノルダウを殺害しようとする一幕さえあった。

翌1904年7月、ヘルツルは突然、失意の中で死去した。わずか44歳であった。

結局、ヘルツルの死が早すぎたことが、パレスチナ入植を推進する東欧のシオニストにとっては幸いとなり、シオニズム運動の内部崩壊はかろうじて避けられたのであった。

 


テオドール・ヘルツル

“近代シオニズムの父”と呼ばれる。
 「第1回シオニスト会議」を開催し、
 「世界シオニスト機構」を設立した。

 

●今後も、彼らがパレスチナでシオニズム運動を続ける限り、彼らを「ニセユダヤ人」として批判する人は増えていくだろう。シオニズム運動が続く限り、「ユダヤ人」という定義は世界から厳しい目でにらまれ続けることになる。誰が本当のユダヤ人で、誰が非ユダヤ人なのか、イスラエル国内でも常に「ユダヤ人」の定義を巡って大きく揺れている。

※ このシオニズムが抱える深刻な問題については、当館6Fのシオニズムのページで具体的に考察しているので、そちらも参照して下さい。



●ところで、ハザール人問題に触れるとき、必ず、「ユダヤ人という人種は存在しない。なぜならば、『ユダヤ人=ユダヤ教徒』なのだから。『血統』を問題にするのは全くのナンセンスだ」と強く反論する人がいる。

なるほど。しかし、「ユダヤ人=ユダヤ教徒」ならば、なおさら、パレスチナを「先祖の土地」と主張して、そこの先住民を追い払って国を作った連中は、ナチなみのトンチンカンな連中だといえよう。

単なるユダヤ教徒が、『旧約聖書』のユダヤ人の「故郷」だからといって、パレスチナの土地を奪う権利があったのか? 何十年にもわたって無駄な血を流す必要はあったのか? この問題は、将来も長きにわたって歴史家たちの間で問い続けられるだろう。

 

 
(左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗

 

●なお、注意して欲しいのだが、アシュケナジーム全てがシオニストというわけでもない。また、アシュケナジームの中には、自らのルーツがハザールであることを自覚して、シオニズムを批判している人もいる。本質的にシオニズムとユダヤ思想は別物なのである。この点についても、先に紹介した当館6Fのシオニズムのページで具体的に触れているので、興味のある方は参照して下さい。

 

 


 

ハザール王国の歴史 ~誕生から滅亡まで~