●1976年6月27日、パリ行きの「エールフランス139便」がテルアビブを離陸後、PFLPのゲリラと「バーダー・マインホフ団」の流れを汲む旧西ドイツのゲリラに乗っ取られ、アフリカ大陸を南下し、

アフリカ東部の国ウガンダの「エンテベ空港」に強制着陸させられた。

 


アフリカ東部の国ウガンダの「エンテベ空港」

 

●旅客機には、乗員・乗客合わせて256人が乗っていた。これら人質のうち少なくとも83人がイスラエル国民だった。

犯人7人は重武装していた。彼らはイスラエル国籍者とユダヤ人だけを人質として残し、他の乗客全員を釈放した。

ハイジャック犯人らは服役中の40人の仲間の釈放を要求したが、イスラエル政府はきっぱりと拒否した。

 

 
(左)ウガンダの国旗 (右)イスラエルの国旗

 

●「親アラブ」で知られているウガンダのアミン大統領は、イスラエルとの友好関係を放棄し、PFLPの協力要請を受け付け、ウガンダ兵に「エンテベ空港」にいるゲリラたちを警護させた。

人質は飛行機から降ろされ、ターミナルビルへ移動させられた。

 

 
ウガンダの独裁者イディ・アミン大統領

彼はアドルフ・ヒトラーを尊敬し、
「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称され、
「食人大統領」とも呼ばれた。身長2mを超す巨漢で、アフリカの
ボクシングヘビー級チャンピオンになったこともある。

 

●7月3日、イスラエル政府は人質救出作戦の決行を決め、複数の「サエレト」奇襲部隊(イスラエル特殊部隊)をイスラエルから4000キロも離れたウガンダに派兵した。

そして、夜間、「エンテベ空港」の管制塔の目を盗んで、3機の大型輸送機を「エンテベ空港」に着陸させた。輸送機は多数の兵士、武器、野戦病院設備を満載していた。

 


イスラエル軍の大型輸送機

 

●イスラエル軍は、アミン大統領が使っている黒塗りのメルセデス・リムジンそっくりの車まで用意した。

※ この車はイスラエルから空輸した

 



イスラエル軍によって持ち込まれた
黒いメルセデス。アミン大統領もしくは他の
高官が側近と共に乗り込んでいるように偽装された。
このメルセデスはイスラエルの民間人が所有する車で、
奇襲に使用するため黒のスプレーで塗装された。

 

●そして、深夜11時を過ぎた頃、

この黒いメルセデスは、空港の旧乗客ターミナルに向かって運転された。

アミン大統領が視察に訪れたと思ったウガンダ兵は、敬礼を持ってメルセデスを迎えた。

しかし、メルセデスの中から出てきたのは、アミン大統領ではなく、消音銃で武装したイスラエル兵だった!

すぐさまガードの2人を射殺したイスラエル兵は、警備にあたっていたウガンダ兵を射殺しながら旧乗客ターミナルに突入し、ゲリラ7人を射殺した。


●この奇襲攻撃は、わずか3分で終了した。

人質は3人を残して全員無傷で解放され、銃撃戦の流れ弾で怪我をした1人はエンテベの病院に収容されたのだが、のちにウガンダ兵によって殺害された。

 


解放された人質たち

人質のうち3人がイスラエル軍による誤射で死亡。
残った人質はナイロビの「ケニヤッタ空港」を
経由して無事イスラエルに運ばれた。

 

●イスラエルの奇襲部隊は、この作戦を指揮していたヨナタン・ネタニヤフ中佐が、管制塔を警備していたウガンダ兵に撃たれて死亡した。

彼がただ1人の“戦死者”だった。

ウガンダ側は、兵士45人が死亡した。

 


ヨナタン・ネタニヤフ

イスラエルの奇襲部隊を指揮し、殉死した

 

●これが有名な「エンテベ空港奇襲事件」である。

世のカウンター・テロリスト観を一新するほどの衝撃を世界に与えたのであるが、この作戦は殉死したヨナタン・ネタニヤフ中佐にちなんで、「オペレーション・ヨナタン」と名付けられた。


●この事件は、すぐに(3度も)映画化された。

 

 
『エンテベの勝利』(1976年制作)

↑事件後、ハリウッドが速攻で作った作品。
ユダヤ人俳優のカーク・ダグラスをはじめ有名スターが
大勢出演。日本では1週間の公開でアラブ側の抗議
により上映が中止された曰くつきの作品である。

※ 「エンテベ空港奇襲」の映画化は競作となり、
他に、『特攻サンダーボルト作戦』(
1976年)と
『サンダーボルト救出作戦』(
1977年)が制作された。

 

●ちなみに、殉死したヨナタン・ネタニヤフの実弟が、現在のイスラエル首相を務めているベンヤミン・ネタニヤフである。

彼もエリート部隊に所属しており、兄と一緒に「エンテベ空港奇襲」に参加していたのであった。

 

 
(左)ベンヤミン・ネタニヤフ (右)彼の著書
『テロリズムとはこう戦え』(ミルトス)

最愛の兄が戦死したエンテベ事件は、
彼の対パレスチナ強硬姿勢の
原点になったといわれている

 

●ベンヤミン・ネタニヤフは、この事件のあった1976年以来、対テロリズム研究機関「ヨナタン研究所」(←兄ヨナタンの名前を冠する組織)の所長を務め、独自の対テロ戦略を世界の首脳に説いている。

この事件以降、イスラエル航空機はただの一機もハイジャックされていない。


※ ウガンダ政府は事件後、この事件で国の主権を
侵害されたとして、イスラエル政府を厳しく非難した。